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2005.03.31

キリスト教の祖イエス

世界三大宗教の祖ガウタマ・シッダールタもイエスもムハンマドも人です。
しかしイエスについては人ではないという反論があるかもしれません。
そこで彼についてちょっと書いてみます。

福音書を読みますと彼は繰り返し自分のことを人の子と言っています。
周りに神の子という人がいたので、わざわざ人の子と言ったのではないでしょうか。

彼は、人から「よい先生」と呼ばれると、「私をよいと言うのか。よいのは神のみ」と答えました。
彼が自分を神と識別していた証拠です。

彼はしょっちゅう神に祈りました。
神ではない自分をしっかりと認識していた証拠です。

死ぬのがこわくて、できることなら死から逃げたいと何度も思いました。
でも死ぬことが自分の使命ならと思い直して殺されました。
人間的です。

福音書をよく読めば読むほど彼は人以外の何者でもなかったことがわかります。

イエスが人ではないからキリスト教に価値があるという考えがあります。
確かに新約聖書を読みますと、イエスの神格化が行なわれています。

人を信仰の対象にするには人の神格化が昔の人には有効であったからだと思います。
日本の神道では今でも祖先(の霊)を神格化しあがめます。

(注)人はすべて神の子であるという考えがあります。
この考えによればイエスも神の子となります。
しかし自分と神を識別した数多くのイエスの言葉が理解できなくなります。

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2005.03.27

横浜舞岡公園

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舞岡公園

長女と孫が遊びにきてくれたので近くの舞岡公園に行ってきました。
ここはまだ自然が豊かに残っている広大な公園です。
地形が複雑で散歩はいい運動になります。

まだ冬枯れの雑木林でした。
しかし3月の陽気のおかげで枯れ木がうらさびしく見えないから不思議です。
やがて吹き出してくる命を感じます。
4月になれば山桜が美しく丘陵を飾ります。

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2005.03.24

モクレン

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横浜です。
毎年この季節になりますと庭でモクレンがいっぱい花をつけます。
幸い午後青空が広がりましたので青空を背景に写真をとってみました。

草木は、何も言わないで、時が来ると美しく咲きます。
不必要なことは何もしません。
それなのにちゃんと生きています。
モクレンにはモクレンの命があります。

それに比べると人間は不必要かもしれないことをあれこれやっては楽しいとか苦しいとか言っています。
これはこれで、人間的ということで、これまたすごいということになるのでしょう。

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2005.03.22

人の命ははかなくない

人の命ははかないと言う人が多いのですが、私はまったく逆の感想を持っています。
数十億年前(?)ウイルスのような形であったものが、連綿と続いて現在の私達になりました。
私は、人の命はすごい、消えもしないでよく続いてきたものだと驚嘆します。

大昔の先祖について考えてみてください。
私達の中で働いている命は、気が遠くなるような大昔から伝わってきたものです。
何でこの人の命がはかないでしょうか。

この命が今では何と63億人の人の中で働いています。
2050年には90億人以上の人の中で働いているだろうと予測されています。
どうして人の命が空(くう)でしょうか。
仮の姿でしょうか。

過酷な環境の変化の中、こうして生き残ってきたことは奇跡ではないでしょうか。
私は、人の命は実体と呼ぶにふさわしい存在と思います。

人の命が大切な理由はそれがはかなくないことにあると思います。

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2005.03.20

キリスト教の神と聖霊

キリスト教は一神教です。
キリスト教の神は自然神ではありませんが、自然神的です。
自然神である太陽、月、星などを神々と思っていた人々の中から、誰かが、神々についてさらによく考え、やがてこれらのそのまた奥に目に見えない一人の神が存在すると思った結果、一神教が誕生したのでしょう。

キリスト教の神に関する古い資料としてヘブライ語で書かれた旧約聖書の創世記があります。
この資料によりますと、神の名前が二つ出てきます。
一つはエローヒームです。
これは「神々」という意味で複数形です。
もう一つはヤハウェです。
これは「存在するもの」という意味でしょう。

前者のエローヒームという言葉ですが、どうして一人の神の名が「神々」なのでしょうか。
キリスト教の祖であるイエスはユダヤ人でした。
ユダヤ民族のそのまた昔の先祖は、ユーフラテス川の下流域に住んでいたセム族でした。
この辺りでは人々は太陽、月、星などを「神々」と思って重視していたと言われています。

その人々の中からやがて神は一人と思った人が現れたのでしょう。
一神教が画期的と思えたので、その人は迫害の危険をかえりみず、多神教の人々と袂(たもと)を分かったのではないでしょうか。
その子孫がユダヤ民族です。
彼らは呼びなれた「神々」という名をそのまま一人の神の名として使っていたのではないでしょうか。

こう考えるとユダヤ民族の選民思想が理解しやすいと思います。
神が一人とわかったのは、自分が神から特別選ばれた人であったからだと思うのは自然です。

旧約聖書、新約聖書を読んでいますと神のいる場所は天です。
現代キリスト教信者の中でも多くの人々が神は天にいると思っています。
太陽、月、星などのそのまた奥に神はいると思っているからでしょう。

一神教信者の思考は、科学者が、数多くの自然法則のそのまた奥に根本的な自然法則があるのではないかと想像するのに似ていると思います。
実際、一神教を信じている科学者の中には神は根本的な自然法則と思っている人がいます。

ところで一神教の神は自然神的とすると、通常人々が神について感じる人格神的な特徴が説明できなくなります。
信者は神は愛だと感じます。
ところが自然神的な神は自然法則的です。
信仰の厚い人も津波で死にます。
この理由について信者は、神は試練を与えたと説明します。
しかしこの説明には無理があります。
一神教の神は愛ではないと考えた方がはるかに津波とその被害を説明しやすいと思います。
信者が感じる愛の神は実は一神教の神ではないのではないでしょうか。

次にキリスト教がいう聖霊について考えてみましょう。
キリスト教では聖霊とは神から出た不思議な力が人格化されたものです。
イエスは聖霊を非常に重視しました。
どうしてイエスは、神とは別に聖霊を強く感じたのでしょうか。
神と聖霊およびその関係はキリスト教信者でも説明が容易ではないでしょう。

新約聖書によりますとイエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けて心が高揚していたとき聖霊が天から鳩のように自分に下ったと思いました。
彼がそう思ったのは、神は自然神的で、天にいると思い込んでいたからではないでしょうか。
また聖霊は神とは無関係と思えなかったからではないでしょうか。

キリスト教信者の中にはイエスと同様、神とは別に聖霊を強く感じる人々がいます。
彼らは神より聖霊をはるかに身近に感じます。
自分と一緒に存在すると感じます。

ここで次のような仮説を立てて考え直してみるとどういうことになるでしょうか。

聖霊は生まれた時からすべての人の中に存在する。
キリスト教信者は、見えない神を信じて感動した時、見えないものを感じる第六感のような感性を持つ。
その感性によって自分の中に存在する聖霊を感じる。
感動した時初めて感じるのでその時神から与えられたと思う。

この仮説が正しいとすると、キリスト教信者でなくても、第六感のような感性を持つことによってキリスト教の聖霊に相当する精神的な存在を感じることができるということになります。
つまりキリスト教に関係なく聖霊に相当する精神的な存在を感じる生き方がすべての人に可能ということになります。

ところで私は、ウイルスのような状態から始まった数十億年(?)の歴史を持つ人間の精神本体を、最近数百万年の間に発達したと考えられる新精神と識別し、「人の命」(Human Life)と呼んで研究しています。
この「人の命」(精神本体)は当然のことながらすべての人の中に存在します。
そしてすべての人に共通です。
すべての人の中で、生きる力、生かす力として働いています。
イエスもキリスト教信者も、この「人の命」(精神本体)を神から出た聖霊と思ったのではないでしょうか。

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2005.03.17

消費税率を上げるより政府の合理化

消費税率を5%上げ、上げた分は年金に使うという考えがあります。

ちょっとよさそうですが、消費税率を上げた結果、経済が縮小するとこの方法は無意味です。
そこで定性的に経済予測をしてみましょう。

現在も個人消費が弱い。
貧乏な人、老人、中産階級は一段と節約する。
会社は、ものやサービスの本体価格を下げて売り上げ維持をはかる。
そのためにコストを下げる。
従業員等に対する支払いが押さえられるので彼らの消費意欲が減退する。
出生率が上がらないか、下がり、人口減少が続く。

経済は縮小すると思います。
すると集まるはずの年金基金も怪しくなります。
貧乏な人の割合が増えます。

従来の税収まで減って財政赤字が増え、政府倒産の確率が高まります。
こうなると年金だけの問題で終わりません。
社会不安が高まります。

まず政府の合理化が先だと思います。
第一に国会議員を半分にするぐらいの気持ちがあっていいと思います。
第二に政府職員を合理化し、もって政府の仕事や事業の重点化、近代化を避けられないようにするのがいいと思います。

なお公的年金については、全国民一本化し、政府が税から支払うという仕組みに賛成です。
個人の掛け金については、掛けるのではなく、所得税の一部として払う考え方を採用した方がいいと思います。

なお公的年金は政府による最低保障という考えでいいと思います。
あとは人々が任意に加入できる民間の年金制度を普及させ、公的年金を補うということでいいと思います。

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2005.03.14

キリストから精神本体である「人の命」へ

私は、20代前半先輩のキリスト教信者に叱られて「自分は正しい」と思って頑張ってきた自我が崩壊するのを感じました。
またキリスト教の先生から「でも、しかしと言うのをやめ、まず聞け」と言われて、キリスト教を学習しました。

キリスト教はすごいと思い、信じ、聖書を勉強し、キリスト教雑誌にも書き、人々にキリスト教のお話しもして来ました。
こうして約30年の年月を無我夢中で生きて来ました。

しかし50代半ば現実問題に取り組んでいるうちにキリスト教で説明できない、あるいは解決できない問題が数多くあることを自覚せざるをえませんでした。
どうすればいいのかと試行錯誤しているうちに自然にキリスト教が小さくなってしまいました。

一方で、数十億年(?)の歴史をもつ精神本体の重要性を認識するに至り、この精神本体を「人の命」と呼び、重視し、信じるようになりました。
この「人の命」を重視し信じることで再び現実の問題に取り組む元気が湧いてきました。
今この思いで一番私が感謝していることは、宗教をこえ、国をこえ、世界の人々と話し合うことができることです。

私は、人の命を軽視しない限り、いかなる既存宗教、既存思想も否定しません。
反対に既存宗教、既存思想から多くのことを学ぶことができたと感謝しております。
キリスト教を学んだ約30年が無駄であったと思ったことはありません。
きっとこの学習がなかったら「人の命」を重視し信じる思いには到達することができなかったでしょう。

数年前、ある仏教信者が、戦前戦争に反対し、投獄され、獄中毎日祈り、仏とは何かと思い続け、そしてある日「命だ!」と気付いたというお話しを、別の若い仏教信者の方がくれた本で読みました。
真摯(しんし)に現実問題を考え続けていると、やがて「命」とか「人の命」に思いが到達する必然性があるように思えてなりません。

「人の命」は宗教も国もこえることができる人類共通の最高の価値ではないでしょうか。
私は、死ぬまで「人の命」を重視し信じる生き方を世界の人々との交流に生かしたいと思っています。

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2005.03.10

所得税の確定申告

すでに20年近く所得税の確定申告をやってきたので申告書の作成をむずかしいと思ったことはありません。
しかし申告の手引きに書かれている種々の計算式や数字はいつも意味不明で、なるほどよく考えてあると感心したことがありません。

所得金額の計算式の意味を説明できる人っているでしょうか。
配偶者や扶養親族の控除額が38万円ってどういう意味をもっているのでしょうか。
扶養家族が1人1年間38万円で生活できるでしょうか。
集めたい税額があってそれを達成するため、式や数字をいじくっているうちに式や数字が意味不明になったという感じです。

消費税導入後は一段と税制が複雑になりました。
税込み金額に消費税がかかる意味を説明できる人はいるでしょうか。

固定資産税も複雑怪奇です。
ただ住むために持っている土地や家屋にかかる固定資産税が、不動産の実勢価格で決まったり、反対に無価値なものが勝手に価値あるとされて決まるのも意味不明です。

日本の税制は一度きちんと整理し直した方がいいと思います。
意味不明の税制は、国民の納税意欲を減退させるのではないでしょうか。

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2005.03.07

韓国ドラマは見てて安心

今はやりの恋愛ものの韓国ドラマを見ていると、主人公の男女らがすぐ体を求めないこと、体を許さないこと、体を大切していることに気付きます。

情事を抜くと純愛が強調されるので映画技法としてそうしているのでしょうか。
映倫が厳しいのでしょうか。
実際に韓国では結婚までは体を大切にするという価値観が生きているのでしょうか。

いずれにせよ、何か安心して見ることができます。
体を大切にするという価値観は男女の信頼関係を深めると思います。

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2005.03.04

老人の町と雪

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05.3.4横浜の朝

横浜です。
今日は冷えるなと思いながら雨戸を開けると雪が降っていました。
今年は3月、4月雪が降るのではないかと思っていましたが、案の定です。

このまま降り続けるとかなりの積雪になり、午後には道路の除雪を行なわなければならないと思いました。
積雪した状態で夜を迎えると、明日の朝道路が凍結して人々が歩くのが危ないからです。
また凍結してから除雪するのはものすごく大変です。
ところが今日は左膝の関節が痛くて困ったことになったと思っていました。

幸い昼頃気温がどんどん上がり、雪はボタン雪となり、午後になると雪がやんで、道路の雪が自然に消えてしまいました。
本当に助かったと思いました。

若い頃は家の周りの道路の除雪は運動感覚でやりましたが、老人になると体の故障もあり、ちょっと億劫です。
私が住んでいる町は、30年ぐらい前にできた町で、住んでいる人の年令がだいたいそろっています。
今では老人だけの家が増えて、誰々は家を売却して子供が住んでいる家の近くのマンションに引っ越したというニュースがよく流れてきます。

大雪だって心配なのに、大地震が来たらどうしたらいいでしょうか。
先日区の防災訓練に出席した人のお話しを聞いたら、大地震が起こったら消防署は助けに行かないから町の人々が助け合うようにと言われたそうです。
それはそのとおりだと思うのですが、老人の町でどの程度のことができるでしょうか。

さらに数十年たてばこの町も若い人々が混じった普通の町になるでしょう。
それまでの数十年間この町は老人の町特有の問題に悩まされます。

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2005.03.01

湯河原梅林

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05.3.1湯河原梅林

神奈川県湯河原町にある幕山(626m)は急な南側斜面に巨岩がいくつも露出している美しい山です。
その巨岩群の下のやや緩やかになった斜面が広大な梅林になっています。
梅の木は4000本あるそうです。

入場無料です。
しかし入場者の寄付金等で、規模拡大、維持管理が行なわれているそうです。
湯河原梅林愛好者が非常に多いことがうかがえます。

散策路は山の斜面に設けられていますからちょっと登り下りがきついかもしれません。
幕山の南東部の梅林の中の散策路を登っていきますと、梅林におおわれた山の斜面が眼下に広がり、その下に谷、その向こうに山、南東の方向、山と山の間に相模湾が見え、雄大な景色を楽しむことができます。

今日行ってきました。
曇っており、時々雪がちらつく寒さでした。
風がないので助かりました。
開花が遅れているようで、梅林として本当に美しくなるのはこれからと思いました。

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