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2005.03.20

キリスト教の神と聖霊

キリスト教は一神教です。
キリスト教の神は自然神ではありませんが、自然神的です。
自然神である太陽、月、星などを神々と思っていた人々の中から、誰かが、神々についてさらによく考え、やがてこれらのそのまた奥に目に見えない一人の神が存在すると思った結果、一神教が誕生したのでしょう。

キリスト教の神に関する古い資料としてヘブライ語で書かれた旧約聖書の創世記があります。
この資料によりますと、神の名前が二つ出てきます。
一つはエローヒームです。
これは「神々」という意味で複数形です。
もう一つはヤハウェです。
これは「存在するもの」という意味でしょう。

前者のエローヒームという言葉ですが、どうして一人の神の名が「神々」なのでしょうか。
キリスト教の祖であるイエスはユダヤ人でした。
ユダヤ民族のそのまた昔の先祖は、ユーフラテス川の下流域に住んでいたセム族でした。
この辺りでは人々は太陽、月、星などを「神々」と思って重視していたと言われています。

その人々の中からやがて神は一人と思った人が現れたのでしょう。
一神教が画期的と思えたので、その人は迫害の危険をかえりみず、多神教の人々と袂(たもと)を分かったのではないでしょうか。
その子孫がユダヤ民族です。
彼らは呼びなれた「神々」という名をそのまま一人の神の名として使っていたのではないでしょうか。

こう考えるとユダヤ民族の選民思想が理解しやすいと思います。
神が一人とわかったのは、自分が神から特別選ばれた人であったからだと思うのは自然です。

旧約聖書、新約聖書を読んでいますと神のいる場所は天です。
現代キリスト教信者の中でも多くの人々が神は天にいると思っています。
太陽、月、星などのそのまた奥に神はいると思っているからでしょう。

一神教信者の思考は、科学者が、数多くの自然法則のそのまた奥に根本的な自然法則があるのではないかと想像するのに似ていると思います。
実際、一神教を信じている科学者の中には神は根本的な自然法則と思っている人がいます。

ところで一神教の神は自然神的とすると、通常人々が神について感じる人格神的な特徴が説明できなくなります。
信者は神は愛だと感じます。
ところが自然神的な神は自然法則的です。
信仰の厚い人も津波で死にます。
この理由について信者は、神は試練を与えたと説明します。
しかしこの説明には無理があります。
一神教の神は愛ではないと考えた方がはるかに津波とその被害を説明しやすいと思います。
信者が感じる愛の神は実は一神教の神ではないのではないでしょうか。

次にキリスト教がいう聖霊について考えてみましょう。
キリスト教では聖霊とは神から出た不思議な力が人格化されたものです。
イエスは聖霊を非常に重視しました。
どうしてイエスは、神とは別に聖霊を強く感じたのでしょうか。
神と聖霊およびその関係はキリスト教信者でも説明が容易ではないでしょう。

新約聖書によりますとイエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けて心が高揚していたとき聖霊が天から鳩のように自分に下ったと思いました。
彼がそう思ったのは、神は自然神的で、天にいると思い込んでいたからではないでしょうか。
また聖霊は神とは無関係と思えなかったからではないでしょうか。

キリスト教信者の中にはイエスと同様、神とは別に聖霊を強く感じる人々がいます。
彼らは神より聖霊をはるかに身近に感じます。
自分と一緒に存在すると感じます。

ここで次のような仮説を立てて考え直してみるとどういうことになるでしょうか。

聖霊は生まれた時からすべての人の中に存在する。
キリスト教信者は、見えない神を信じて感動した時、見えないものを感じる第六感のような感性を持つ。
その感性によって自分の中に存在する聖霊を感じる。
感動した時初めて感じるのでその時神から与えられたと思う。

この仮説が正しいとすると、キリスト教信者でなくても、第六感のような感性を持つことによってキリスト教の聖霊に相当する精神的な存在を感じることができるということになります。
つまりキリスト教に関係なく聖霊に相当する精神的な存在を感じる生き方がすべての人に可能ということになります。

ところで私は、ウイルスのような状態から始まった数十億年(?)の歴史を持つ人間の精神本体を、最近数百万年の間に発達したと考えられる新精神と識別し、「人の命」(Human Life)と呼んで研究しています。
この「人の命」(精神本体)は当然のことながらすべての人の中に存在します。
そしてすべての人に共通です。
すべての人の中で、生きる力、生かす力として働いています。
イエスもキリスト教信者も、この「人の命」(精神本体)を神から出た聖霊と思ったのではないでしょうか。

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