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2005.04.28

信仰と善悪

神仏を信じているのに人を殺したり、テロをやったり、戦争したりします。
どうしてこのような恐ろしいことが宗教信者にできるのでしょうか。

神仏を絶対視し、人より上に置くからでしょうか。
神仏を信じると自分は正しいと思い、人を下にするからでしょうか。
自分が信じる神仏やその教えを否定する人を殺してもいいと思うからでしょうか。
神仏を信じていると口では言うが、心では信じていないからでしょうか。

事実は次のとおりだと思います。

神仏の信仰者もその心は善悪半々である。
つまり信者になっても善人になる訳ではない。

それでは信仰の効果とは何でしょうか。
力ではないでしょうか。
できるという思いではないでしょうか。
その結果、悪いこともできてしまうのではないでしょうか。

したがって信仰が大きくなればなるほど善悪をしっかり学ぶ必要があると思います。
神仏が教えてくれると思って待っていても神仏は教えてくれないと思います。

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2005.04.26

コンクリートの割れ目から生えた草木

コンクリートでおおわれた斜面のコンクリートの割れ目からよく草木が生えています。
草木は生き生きしている上、信じられない力を持っていて割れ目をさらに広げます。
その生命力に驚きます。
自然に割れ目に種が落ち、自分で芽を出し、根を張った草木は、厳しい環境でも生き続ける力を持っています。

ところが苗床で育てた苗や苗木は、いい環境に移植しても育たない場合があります。
移植のとき根が駄目になったり、根がはっていないので地上に出ている部分が風で動くと土中の根まで動いてさらに根が駄目になったり、根が新しい土壌に順応できなかったりして、水分や養分を葉に送ることができず、弱ってしまうからです。

環境よりいかに根がしっかりはっているかが重要であることがわかります。

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2005.04.23

愛は回り持ち

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庭に咲く山ボケ

昔ベツレヘムの星をくれたクリスチャンの老婦人のお話しです。

若い頃、彼女は、肺結核にかかって苦しんでいた貧乏な家庭の若い女性達を献身的に世話しました。
まだ化学療法がない時代でした。
ひたすら栄養のあるものを食べさせようとしました。

しかし彼女の経済力に限界がありました。
肺結核の女性達は若くして彼女の腕の中で次から次へと亡くなっていきました。
でも女性達は、彼女の愛を受け、最後まで生き生きとしていました。

晩年は、彼女は、塾を開き、学校の勉強についていけず取り残されてしまった子ども達に数学と英語を教えました。
ろうそくの火が最後にぱっと明るくなるように彼女は子ども達と明るく生きました。
そして完全にろうが燃えつきて亡くなりました。

その彼女が、愛は回り持ちとよく言いました。
愛してくれる人を愛することは愛ではないと教えました。
愛を受けたら別の人を愛しなさいと教えました。
またお返しを期待して愛してはいけないと教えました。

彼女は神から愛されていると信じて生きました。
だから神から受けた愛をすべて神以外の人に与えました。
愛を返せない弱者や子ども達をひたすら愛し続けました。
99人の普通の人のことは忘れ、1人の弱者を助け続けました。
命絶え、筆が指から落ちるまで弱者に愛の手紙を書き続けました。

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2005.04.21

ベツレヘムの星

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庭に咲くハナニラ

昔渥美半島に住んでいたクリスチャンの老婦人が小さな球根を送ってくれました。
彼女はその花をベツレヘムの星と呼んでいました。

通常ハナニラと呼ばれていることを知ったのは球根をもらってから数年後のことでした。
それまで道を通りがかりの人に、「きれいな花ね、何と言うのですか」と聞かれると、ベツレヘムの星ですと答えていました。

イスラエルの国旗を見ますと三角形二つを上下反対にして重ねた星型の青い図形が真ん中に描かれています。
この図形はダビデの星と呼ばれています。
6枚の花びらをもった青いハナニラに似ています。

ところがダビデの星にならず、ベツレヘムの星になったのはクリスチャン達がハナニラのことをそう呼んだからでしょうか。
ベツレヘムの星とは、「東の国の博士達」を、ベツレヘムにいた生まれたばかりのイエスの所に導いたという星です。
(注)ハナニラの別称としてベツレヘムの星をあげている辞書もあります。

繁殖力が旺盛な花で、今では庭のいたるところで咲き競っています。
夕方あたりがちょっと暗くなるとベツレヘムの星はひときわ浮き出てきます。
夜空の星のよう光り輝きます。
花びらに蛍光物質が含まれているのでしょうか。

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2005.04.18

椿

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庭で椿が美しく咲きました。
生き生きとしています。
春が来れば春すべきことをします。
生きるのによいことをします。
虫に食われても人に枝を切られても椿らしい最善の生き方をします。

それでは人間にとって最善の生き方とは何でしょうか。
椿と同じように人間らしい最善の生き方があると思います。
それは人の命を重視して生きることだと思います。

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2005.04.16

神は仕事や事業について考えてくれるか

神を信じている人は誰でも神から力を与えられていると感じます。
信じている神が何であっても、また何であるか知らなくても、また何であるか誤解していても力を感じます。
神は、神に関する私達の知識の有無関係なく、信じる者を助けます。

それでは神は私達がやるべき仕事や事業について考えてくれるでしょうか。
待っていれば何か調査企画してくれるでしょうか。
私達が何かしたいと思わないのに神が何々しなさいと教えてくれることがあるでしょうか。

特に何かしたいと思っていないのに、ある時突然、何々したいと思った経験のある人は多いでしょう。
これは神が教えたのではなく、自分が時々考えていたことが、ある時、熟して形になったのではないでしょうか。

何か仕事や事業をやりたいと思うのは自分だと思います。
調査企画するのも自分です。
神ではありません。

したがって、何かやって失敗して、神の指示どおりやったのに失敗したと神のせいにするのはおかしいことです。
反対に成功したら、自分の調査企画がよかった、実行方法がよかったと思っていいと思います。

神は、力を与えてくれるが、私達が仕事や事業として何をすべきか教えてくれません。
私達が何かしたいと思うと、したいことができるように助けてくれるのが神です。

しかし神は別に仕事や事業の成功を保証しません。
私達の調査企画や実行方法が悪ければ神の助けがあっても失敗します。

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2005.04.12

横浜市舞岡公園のソメイヨシノ

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舞岡公園のソメイヨシノ

舞岡公園は丘陵部の山桜の美しさで有名ですが、実はソメイヨシノも見事です。
ソメイヨシノが植わっている部分はそれほど広くはありません。
しかし横浜では有数のソメイヨシノの名所に数えてもいいと思います。

私は4月10日に木の下にシートを敷いて長女の家族とお弁当を食べながらお花見を楽しみました。
シートの上に横になり仰向いて桜を見ると花の枝と枝の間に青空が見えてそれはいい気持ちです。
隣のグループから賑やかな韓国語のおしゃべりが聞こえてきました。
韓国の留学生達が集まってお花見を楽しんでいるようでした。

1945年日本敗戦の後、朝鮮半島では折角植えたソメイヨシノを日本の花だからと言って人々は切り倒したそうです。
しかしやがてその美しさを忘れることができなかった人々は、再びソメイヨシノを植え、その美しさを楽しむようになったそうです。

ソメイヨシノは世界にどんどん広まっているそうです。
お花見は、春と花と命をめでる日本の代表的お祭りです。
このお花見の慣習が世界に広まるといいですね。

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2005.04.10

山桜の丘陵

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05.4.10山桜におおわれた横浜市舞岡公園の丘陵

長女の家族が訪問してきましたのでみんなで近くの舞岡公園に行ってきました。
今山桜が満開で起伏に富んだ広大な公園の丘陵を美しく飾っています。
暑くもなく寒くもなく、散歩には最適の天気でした。
ウグイスが鳴き競い、その美しい声が谷に響き渡り、青空に吸い込まれていきました。

ソメイヨシノはその桃色の花のかたまりがあまりにもはなやかで自然から浮き上がってきますが、山桜は薄茶色を残しながらかすかに緑色に染まり始めた林や、ややかすんだ春の空の色に調和し、淡い穏やかな色の組み合わせからなるのどかな景色を演出します。
この景色を周りに見ながら散歩をしていますと自分自身も景色の中に溶け込んでいくような連続性を感じます。

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2005.04.08

桜が見頃の横浜の舞岡公園

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05.4.8舞岡公園の山桜

10日(日)にお客さんが来ますので舞岡公園に案内したいと思っています。
そこで今日ちょっと下見に行ってきました。

丘陵の山桜や庭園部のソメイヨシノはすでに見頃でした。
このBLOGに記録できなかったのが残念ですが、ウグイスが鳴ききそっていました。
そのすんだ美しい声が山あいに響きわたっていました。

この公園は丘陵の山道のような道を歩くのが最高です。
かなり庭園化してしまいましたが、幸い丘陵にはまだ自然が豊富に残っています。

庭園化の問題点は、植物や動物の分布が変化してしまい、昔から存在した生物が消えていくことです。
一度庭園化してしまうと、今度は手入れを怠ると貧弱に見えます。

舞岡公園については庭園部は限定的とし、自然部をしっかり残すといいと思いますが、横浜市もボランティアも大変手入れに熱心で、草木がどんどん伐採されています。
やがて自然は消えるのではないかと心配しています。

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2005.04.06

農業問題

現在日本は世界から大量の食料を輸入しています。
国内食料生産を軽視しすぎているのではないでしょうか。

今世界人口は63億人です。
2050年には90億人以上になるとの予測があります。
日本はもっとまじめに国内食料生産を考えるべきではないでしょうか。

日本にも農業をやりたい人は大勢います。
しかし農業をやる自由が制限されています。
既存農家に配慮し政府は農業の自由化に消極的です。
一方、既存農家は、会社農業など新しい農業経営になかなか挑戦できません。

そうこうしているうちに農業地域が部分的に転売転用され、虫食い状態になりつつあります。
虫食い状態になると農業地域としての価値が下がります。
つまり農業がやりにくい地域になります。
政府は、農業再生計画を策定し、農業地域の保全につとめた方がいいと思います。

農業の自由化を進め、本当に農業をやりたい人が農業に参入できる道を広くした方がいいと思います。
株式会社などが農業に参入してもいいと思います。
農業経営にも組織的企画管理、生産管理、販売管理、技術・システム開発、研究などの考えが必要だと思います。
株式会社による農地の転売転用の恐れは、法律で規制することが可能と思います。

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2005.04.03

敬語問題

現在敬語が問題になっています。
政治が復古調であることから推定すると、政府は若者が敬語を使わないことを問題にしているのかもしれません。

日本語は敬語が複雑で世界の中でもむずかしい言語の代表です。
これは日本の昔の人の上下構造、ものの考え方が反映しています。

敬語には、ていねい語、尊敬語、けんそん語の三種類があります。
私は、慣習に染まってしまっているので敬語を聞いても読んでも違和感を感じない方です。
しかし気持ちとしては敬語を減らしたいと思っています。

新聞テレビで特に違和感を感じるのは、皇室用語です。
1947年当時、宮内庁と報道関係の間に基本的了解が成り立ち、普通の言葉の範囲内で最上級の敬語を使うということになりました。
しかし近年、昔の特殊な敬語が多くなってきたような気がします。
敬語に敬語を重ねるような傾向もあるような気がします。

そのほか違和感を感じる言葉に学習院大用語というのがあります。
皇族が入学するので普通の人が普通でない言葉を使うようになる場合があります。
昔、会社員時代、私の部署に学習院大卒の女性が来ました。
早く普通の言葉を使うようにとお願いしたのですが容易に直りませんでした。

私は皇族とは付き合いはありませんが、皇族と付き合いのある人と付き合っていました。
男性はまだいいのですが、どうも女性が普通でない言葉に感染しやすいと思いました。

皇室用語を昔のようにすると、普通の人々の敬語まで引きずられ、それが昔の人の上下構造を復活させる恐れがあります。
皇室用語を普通の敬語の最上級以上にするのではなく、反対に、普通に近づけることを目標にした方が上下関係のない明るい社会形成に有効と思います。

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