« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

2005.05.29

大きな権限が与えられている自我

kesi

神について説明できる人は少ないと思いますが、神(の存在)を感じている人は多いと思います。
ところで感じる人とは自我です。
そこで自我が感じる神と自我の関係を考えてみます。

いい話題ではありませんが、日本は自殺が多いので自殺で考えてみましょう。
自殺は、自我が考え、決心し、実行します。

どうして神は自殺を阻止しないのでしょうか。
まるで神は自殺を認めているかのようです。
本当は、神は、人が自殺していいと思っていないと思います。
それなのにどうして神は待ったをかけてくれないのでしょうか。

自殺するには自我に大きな実行力が求められます。
生きることができないなどと弱音をはく自我が、どうして自殺を実行する力を持つことができるのでしょうか。

どうも神は、自我を信用しているように見えます。
自我が何を決心しても、神は、はいはいと聞いてくれるような気がします。
子に甘い親のようです。
神は、自我の決心と実行を盲目的に助けているように見えます。
決心が自殺のような恐ろしいことであっても神は力を貸してしまうようです。

そんなことはないと思うでしょうが、現実はそうなっています。
神がその全知全能をもって人間の自我を管理しているというのは明らかに嘘です。

したがって次のような知識を導き出すことができます。

自我には大きな権限が与えられている。
自我の責任は重い。
どんなに苦しくても自我は、生きることを考え、生きると決心すべきである。
生きると決心すれば神は人が生きることに力を貸してくれる。
反対に死ぬと決心すれば死ぬことに力を貸してしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.27

幸福の段階

matubagiku

幸福になりたいと思う人は幸せだと思います。
幸福になる可能性があります。

幸福になると思う人はもっと幸せだと思います。
幸福になります。

幸福であると思う人は最高に幸せだと思います。
幸福です。

それにしても思考の状態で幸福の段階が決まるなんて本当に不思議なことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.24

いなかは自然がいっぱい

いなかの人口減少と老人化が急速に進んでいるようです。
大きな小中学校に生徒がいないという現象が生じています。
家は空き家となり、農地は休耕となって雑草が生えています。

いなかから都市に出た若い人は都市で仕事や事業を行い、いなかには帰りません。
都市からいなかに移住する人は数えるほどです。

新幹線、高速道路、本四連絡橋、海底トンネル、空港。
交通が便利になると人々は地方へ分散するのではなく、都市へ集中するようになりました。
思惑がはずれて政府は驚いたでしょう。
都市に集中した若い人はときどきおじいさん、おばあさんに会うため便利な交通を利用して地方に帰ります。

ある人が都市部で大地震があればいなかに移住する人が増えるだろうと言いました。
しかしどうもそのような傾向はありません。
人々は都市を復興し、住み続けます。
いなかで大地震があると、いなかを捨て、都市に移住する人が増えます。

政策で流れを変えるべきでしょうか。
それとも何事も波と考えて都市の生活が苦しくなるのを待つべきでしょうか。

自然派は、いなかがさらに自然になるからいいと言います。
日本が均一に都市化するより、都市は都市に閉じ込めた方がいいと言います。

今からでも遅くはない、農業を重視せよとの意見があります。
しかし政府が農業の自由化に消極的であった結果、農産物の輸入や農業の工業化が進み、いなかの農業に魅力を感じる若い人がいなくなってしまいました。

いなかは自然がいっぱいという状態は数十年続くかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.22

宗教の拡大

hana-0

世界三大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)の中ではイスラム教が拡大しつつあると言われます。
宗教団体の活動が関係していると思います。

生活に困っている人が宗教団体から具体的な助けを受けると、宗教は比較的簡単にその人の心の中に入ります。
助かったとか、助けられたという実感はその人の心を大きく動かします。

現在イスラム教系宗教団体は、生活に困っている人々を助けることを重視していると言われています。
宗教団体が具体的に助けてくれるので信じるという人が多いのではないでしょうか。

日本では生活に困っている人が少ないので宗教団体は布教に苦戦しているのではないでしょうか。
生活に困っていない人は、教養で宗教を学ぶか、仮に信じても信仰が小さい傾向があると思います。

超能力を重視して拡大している宗教団体があります。
しかし、拡大に伴い、周りからの批判も強くなって拡大には限界があるように思います。
超能力重視だと普通でない行動をとる人が目立ってくるからではないでしょうか。

学校教育に宗教を取り入れるべきだとの主張があります。
宗教としては、総理の靖国神社参拝問題が暗示しているように神道を重視する動きがあります。
全国に神社があり、社殿や境内がしっかりと維持されているのを見ると信者層の厚さを感じます。
しかし神道を国教のように扱うと、信教の自由を侵しますから憲法に違反するし、国論は二分されるでしょう。

政府に言われなくても宗教心はなくならないと思います。
どの宗教がいいかは、国会や政府が決めることではなく、個人の自由ということでいいと思います。
したがって伝統的な宗教でも縮小する宗教が出ることは避けられないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.18

人は多くの価値観で生きている

murasakitapian

宗教は神仏を上にしますから本来民主主義と相容れません。
神仏だけ上にして人はみな平等とする考え方がありますが、神仏を上にする結果、自分を下にする訳ですから宗教は民主主義ではありません。

実際民主主義は宗教から誕生した主義ではありません。
ヒューマニズムから誕生した主義です。

しかし宗教と民主主義が相容れなくても悩む日本人はいません。
つまり日本では宗教や民主主義は時と場合によって使い分けられています。
日本人が多神教と言われる所以は、このように数多くの価値観を併せ持っているということでしょう。

一神教の国の人も同じです。
一神教と言いながら実際は多神教の人はいくらでもいます。
仮に神は一つでも、数多くの価値観を併せ持っています。

これは何を意味するかというと、現実は一つの宗教や主義で説明できないということです。
どの宗教や主義が絶対ということはないということです。
私達は、数多くの価値観を持っているから現実に対応し、上手に生きることができる訳です。
一つの免疫だけだったら、病原菌だらけのこの世界、一日として健康に生きることができないのと同じです。

自分の宗教が正しいとか、自分の主義が正しいと主張した結果、人間関係が悪くなって悩んでいる場合は、この事実を理解するといいと思います。
人は違うかもしれないが、自分はこの宗教あるいは主義を信じているという言い方がよいのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.16

悪は私達を食って生き残りをはかっている

dorogiwa

本来欲は生きるために必要なものです。
この欲を悪と思うことは誤りです。
その欲が異常な形になったものが悪と考えられます。
欲の近傍に悪がありますから人は悪の誘惑に負けやすいのだと思います。

人類の長い経験によって善悪の知識はかなり発達してきました。
ところが悪と考えられているのに依然として多くの人がやってしまう悪が数多くあります。
多くの人がやっていても、悪は罪です。
罪には罰がつきものです。

悪は私達を誘惑し、私達を食って生き残りをはかっています。
悪の餌になるなんて馬鹿らしいことです。

幸い人には感性、知性が備わった自我があります。
人類の経験知識を学び、理性を持つことができます。
善悪について学ぶことができます。

善をやり、悪はやらないと決心した方が人生は自由で明るく楽しいものです。
清濁併せ呑むことが太っ腹などと思っていると、やがて体中臭くなって鼻つまみになります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.14

家庭菜園

itigo

別に趣味ではありませんが、家庭菜園をやっています。
いい運動にもなるし、収穫もあります。
今は苺が毎日取れます。

昨年秋5株の里芋を今年の種芋用として掘り起こさないで土中に残しておきました。
横浜ですが、寒さでとけてしまうかと思いましたが、小芋は大丈夫で、すでに芽を出し始めていました。
この小芋を新しくつくった畝に植え直しました。
秋には1個の種芋から4-5個の小芋が取れます。

サツマイモは今苗作りをやっています。
市販のサツマイモを苗床に入れ、苗を育てています。

近所の奥さんも家庭菜園が好きで、時々道で長話をします。
彼女は、「手のかからないものしか作らないのね」と私をからかいます。
土日時間があったらやっている程度の私には、「粗放農業」でちゃんとした収穫があるものが好きです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.12

この世とあの世

sharinbai
庭の生垣で咲く車輪梅(シャリンバイ)

あの世を肯定する人は半分ぐらいです。
肯定しますがあの世がわかっている人はいません。
あの世については、本で読んだことか、人から聞いたお話しを知っているだけです。
たまに自分が見た夢や幻覚をあの世だと思っている人がいます。

あの世とは、死んでから後の世、つまり来世です。
生きている人があの世の説明ができないのは当然です。
死なないと具体的に説明できません。

死者が生きている人にあの世について話してくれればいいのですが、そのようなことは起こりません。
証人がいるところで起こればもっと確かですが起こりません。
古い資料は信憑性がありません。
いわゆる霊能者のお話しは、霊能者が少数で普通の人ではありませんので信頼性がありません。

したがってあの世はないと思って問題ないと思います。

但し、あの世があると信じて生きる生き方はあります。
たとえば世界三大宗教の信者はあの世があると信じて生きています。

いまイラクなどで自爆テロがよく起こりますが、自爆者はイスラム教原理主義者であると言われています。
この世で死んでもあの世で生きるという信仰が、自爆テロを実行する勇気になっていると言われています。
死の恐怖を消す効果があります。
しかしこの効果が、死に急ぎ、「人の命」の軽視、この世の改善に対する消極性などの原因になっていたら問題です。

したがって、あの世はないと思って、この世で、死ぬまで「人の命」を重視して生きる方が充実した人生であると思います。

なお、あの世を信じないとこの世で悪いことばかりするという考えがありますが、悪いことをする人もいる、しない人もいるというのが事実だと思います。
あの世を信じるとこの世で悪いことをしないという考えがありますが、悪いことをしない人もいる、する人もいるというのが事実だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.10

柿の若葉

kaki

この季節、若葉の中で柿の若葉は特別です。
黄緑ですが、黄色が強く、ひときわ目立ちます。

百花繚乱の季節ですが、百葉繁茂の季節でもあります。
この気持ちのいい季節に合わせて約1週間にわたる連休がある日本の慣習は素晴らしいと思います。
仕事で毎日せわしく町の中を往来していますが、美しい自然にひととき身をゆだねることができ、生き返ったような気がします。

恐らく現代人は不必要な仕事までつくって忙しくしているような気がします。
激しく動き回ることによって仕事と報酬が比較的均等に人々に分与されているのでしょう。
しかしこの仕組みに依存し続けると、人は疲れ、エネルギー消費は減らず、環境は悪化するというよくない状態が続きます。

疲れるほどに動き回る人間に制動をかけ、人が生きやすい生き方と環境を実現するには新しい価値観が必要です。
この連休で疲れを癒しただけでなく、新しい価値観を見出すことができた人は本当に幸せだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.08

自分の組織

tatunamiso
庭の片隅に咲く立浪草(タツナミソウ)

人は生きるために自分の組織を拡大していきます。

体をこえて外に組織をつくることができます。
家や会社のような目に見える組織だけではありません。
精神上にも組織をつくることができます。

人は自分の組織に一体性を感じながら生きます。
人がこのような組織をつくる理由は、人が生きるのに組織が必要だからです。

死が近づきますと自分の組織の縮小が起こります。
体をこえて外につくった組織はもちろん、精神上の組織も縮小します。

最後まで残る組織は、肉体と精神本体です。
そして死ぬとこれらの組織も消えます。
死んだ人には組織は不必要だからです。

死者の霊は存在しません。
輪廻も復活もありません。
死者は、誰かに記憶されるか、何かに記録されるか、忘れられるかだけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.05

自然治癒力

tapian
タピアン

ちょっと疲れていたのでしょうか、5月3日に体調を崩し、折角の3連休を寝たり起きたりの状態で過ごしました。
免疫が低下してインフルエンザが発病してしまったようです。
その上、食事の準備が嫌で4日有り合わせの甘いお菓子を食べたところ強烈な胃酸過多に襲われ、胃に穴があくのではないかと心配しました。

3日は外国の人と会い、4日は次女と東京の美術館に行く予定でしたが、どちらも取り消し、自宅で静かにしていました。
今朝は一段と苦しくなり、とうとうお昼は食事も食べることができませんでした。
ひたすら寝ていたところ晩になってやっと体が楽になってきてほっとしました。

医療依存症になると病気にかかりやすくなるというお話しがあります。
そこでできるだけ医薬や病院は利用しないことにしています。
それでは健康かというと全く逆で小さいときから病気ばかりしてきました。
それだけに何とか自然治癒力を大きくしたいと思ってきました。

自然治癒しないと判断すると病院に行くことにしています。
そのときは重体ですから病院に行くと決まって入院する羽目になります。
しかし普段自然治癒を重視していますと退院が普通より早くなるような気がします。
自然治癒力と医療効果が相乗的に作用するからではないでしょうか。

自然治癒力を高める方法として食事と運動と睡眠が重要です。
しかしこれだけでは病弱な私は医療依存心を捨てることができません。
そこで「人の命」を信じています。
特に数十億年(?)の歴史を持っていると考えられる精神的「人の命」(精神本体)については信仰のように信じています。
(注)精神は精神本体と自我からなると思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.03

春の叙勲

s-odamaki
苧環(おだまき)

中学校までは賞をもらうと誇らしく思いました。
しかし高等学校から賞に関心がなくなってしまいました。

そして高等学校から65才の今日に至るまで賞をもらったことはほとんどありません。
人にほめられるような業績は何もあげなかったからでしょう。
平々凡々に生きてきたからでしょう。

もらわないことが当たり前ですから政府の春の叙勲など私とは全く無縁の世界です。

勲章がもらえるまで団体の長にしがみついている人がいるというお話しを聞くと笑ってしまいます。

先輩達が勲章をもらい、喜びのおすそわけだと言って何か品物を送ってくると、小学生や中学生じゃあるまいしと思います。

勲章をもらってもその人が亡くなると、いつしか勲章の存在が忘れられたり、勲章が古物商の店先に陳列されたりしているのを見ると、勲章って何だろうと思います。

たまに叙勲を断ったという人のお話しを聞くと、へえ、大人もいるんだと妙に感心します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.01

愛の算数

10-1=11 10-10=20
±の記号を書き間違えたと思うでしょう。
実はこれは愛の算数です。

10から1を出す愛でも愛は愛です。
愛はマイナスをプラスにする効果がありますから残った愛は何と11になります。

10から10を出す愛、これは心からの愛です。
残った愛は0にならず、何と20に増えます。

愛は与えても決して減りません。
反対に与えれば与えるほど増えます。
ものとは全然違います。

どんなに小さな愛でも愛は与えると心を豊かにします。
心が愛で満ちあふれます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »