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2005.06.17

神は犠牲を喜ばない

tidoriso
チドリソウ

私は多くの面でキリスト教の祖イエスはすごい人だったと思います。
しかしイエスがわざわざエルサレムに行って、当時の支配者である大祭司連に自分を殺させたことは問題であったと思います。
人殺し(大祭司連)に人殺しの機会を与えたからです。

エルサレムに行かなくても早晩イエスは殺されたでしょう。
どうせ殺されるならエルサレムで殺された方が効果的であるとイエスは考えたでしょう。
逃げ回って隠れて生きるより、自ら出て行って殺される決心をしたのでしょう。
そして殺されることに、人々の罪のあがないという意味を持たせたのでしょう。
それが人々に対する愛、または神が与えた使命と思ったのでしょう。

しかし旧約聖書によると、神は犠牲を喜ばないとあります。
それなのにイエスが人々の罪のあがないとして自分を犠牲にすると考えたこと、またはそれが神の意志と考えたことは神に反していたのではないでしょうか。

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