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2005.10.19

「人の命」と一緒だから淋しくない

hana2

最近の日本の雰囲気を見るとどこか異様なものを感じます。
大半の人があっちに行くようになったら、あっちこっちせず、こっちに行った方がいいことが多いと思います。
群れて生きるのは不自由なことが多いし、人に合わせて無益有害なことをやることが多いからです。

しかしこっちに行くと一人しかいない場合があります。
一人っきりはやはり淋しいものです。
こういうときは「人の命」(Human Life)を感じながら行くとそれほど淋しくありません。
「人の命」は、日本語ではありませんが、感性が感じることができる信号を出しています。

ところで「人の命」を実体として感じることはむずかしいかもしれません。
私達は精神の外を見る習慣を持ったからです。
そこで「人の命」についてちょっと説明します。

人がウイルスのような状態であった時から数十億年(?)の気が遠くなるような時間をかけて精神が発達してきたことは何人も否定しないでしょう。
数百万年前から発達してきたと考えられる自我と区別して、私はこの精神を精神本体と呼び、さらに、これこそ人の命と思ったので、私は、精神本体を「人の命」と呼んでいます。

私達は宇宙を見ますが、地球の中は見ません。
地球の中で知っているのは地殻の表面部程度です。
しかし地殻は卵の殻のように薄いものです。
つまり私達は地球本体を知っていません。

同じように、私達は精神の外を見ますが、精神の中を見ません。
精神の中で知っているのは自我程度です。
しかし自我は精神の表層部にすぎません。
その下に厚い精神本体が隠されています。

精神本体については精神科学者もまだ説明できません。
100年後に説明できるようになるかどうかもわかりません。

でもちょっと考えてみてください。
この精神本体は無用の長物でしょうか。
実は人が生きる力ではないでしょうか。

もし精神の中に関心を持ち、心静かにその奥底をのぞくなら、そこに精神本体である「人の命」が脈動しているのを感じることができるでしょう。

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