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2005.11.29

自我を捨てる?

ある年配の非常に有名な人が若者達と人生について対談したテレビ番組がありました。
若者達の考えに興味がありましたので見ました。

ある若者が、「よい自我が大切だと思います」と発言しました。
すると年配の人が急に声を荒らげて「そんなことを言っているから駄目なんだ。自我なんて捨ててしまえ」と言いました。
若者はまじめに発言したのに年配の人はどうして興奮したのでしょうか。

年配の人は自分は先輩だとか、若者に教えてやると言った気持ちを持っていたのではないでしょうか。
だから若者の発言を聞いて生意気なと思ったのではないでしょうか。
いずれにせよ、この年配の人の突然の「自我なんか捨ててしまえ」発言に驚きました。

自我を捨てたと思っている人は多いが、本当に自我を捨てた人はいるでしょうか。
自我を捨てた人がどのような生き方をするか想像してみてください。
人間らしく生きることは不可能でしょう。

「よい自我が大切だと思います」と発言した若者がよい自我を持っていたかどうかはわかりません。
またよい自我とは何かという問題はむずかしいと思います。

しかし若者の発言は正しいと思います。
私はよい自我が大切と思っています。
そして興奮して「自我なんて捨ててしまえ」と若者に言った年配の人の自我は問題があるなと思いました。

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2005.11.27

戦死者追悼施設の新設は無用

maiokakoen2
舞岡公園(横浜)の林

いつまでたっても総理の靖国神社参拝問題が解決しません。
国会も政府も優柔不断です。
国民の考えも二分された感じです。
私は次のように考えています。

靖国神社に参拝しない人は大勢います。
総理大臣が靖国神社に参拝すると、人々は、国民だったら参拝するのが当たり前と言われているように感じるでしょう。
総理は、参拝しない人々にも配慮して総理である間は参拝を控えるのが常識でしょう。

戦死者追悼施設を新たに建設する案がありますが形式的すぎます。
だいいち歴史のある靖国神社を否定することはできないでしょう。

戦死者追悼施設として靖国神社を公認する方法がありますが、靖国神社は神道ですから不可能です。
宗教を問わない施設にすることは信者が反対します。
隣国の人々から批判されているA級戦犯合祀問題の解決もできません。

毎年終戦記念日に政府は戦没者追悼式典を武道館で行なってきました。
常設の追悼施設がなくても追悼ができることは明らかです。
政府の行事としてはこれで十分です。

総理の靖国神社参拝問題は、総理が憲法を尊重して参拝をやめればすむことです。
しかし、信念になっているか、何か有力な団体と約束しているか、政治的意図があるとやめることができないでしょう。
とすると、すでに憲法違反という判例がありますから、参拝をやめない総理は総理に向いていないということになります。

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2005.11.25

どうして自分で自分を駄目にするのか

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一級建築士が、耐震性なき建物を偽装設計する。
大地震が来て人が死んだらどうするのでしょうか。
有罪となり資格を剥奪され、二度と資格を生かせないでしょう。
容易に自分の将来を予想できる罪をどうしてするのでしょうか。
注目されたい、儲けたい、受注を増やしたいといった願望だけでは理解できません。

一般論ですが、反社会的な行動の背景には自分自身や社会に対する潜在的恨みがある場合が多いと思います。
恨みの原因は育った環境にあるかもしれません。
何らかの苦悩がほかの悪い条件と重なって自分自身や社会に対する恨みに変質するのかもしれません。

この場合、他人の命の軽視は重大な問題と認識していないでしょう。
自分の命すら軽視しているでしょう。
恨みが良心を蔵に閉じ込めてしまうのでしょう。
一度心に根付いた否定的感情は取り除くことが容易ではありません。

ときどき「自分は人の命を大切にしているか」と自分自身に問いかけるといいと思います。
何か適当な理由をつけて、誰々は死んでもいいとか、殺したいとか、自殺したいと思うなら、理由が何であれ人の命を軽視している証拠です。
自分は危ないと判断すべきです。
人の命を重視しているかどうか自分の心を確認することは、蔵に閉じ込めた良心を取り出すのに有効と思います。

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2005.11.23

舞岡公園(横浜)

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舞岡公園(横浜)

舞岡公園は、木におおわれた周辺の市街化調整区域を含めると南北3kmに及ぶ広大な公園です。
山あり、谷あり、沼ありで、住宅で埋まってきた横浜の中では珍しい公園です。

公園になる前は自然そのままで桃源郷のような所でしたが、公園になってからは横浜市やボランティアがどんどん手を加えて庭園化しつつあります。
それでもまだ自然が残っている方だと思います。

建造物をつくりたい、庭園樹を植えたい、池をつくりたい、管理が容易な公園にしたいという公園維持者の気持ちはわかりますが、私などは散歩道を管理してくれれば十分と思っています。

舞岡公園の紅葉は、淡い紅葉です。
日光のような鮮やかな紅葉ではありません。
色づくのと枯れるのが同時進行の木が多いからかも知れません。
しかし朝日や、昼間の日や、夕日を浴びると、色合いがことなってとても美しく見えるから不思議です。

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2005.11.20

常識や法を軽視すると失敗しやすい

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常識や法は自分の言動を律する上で重要と思いますが、これらより感情が優先する場合が多いと思います。
感情を重視すると、言いたいことを言い、やりたいことをやりますから、一見自由でいいように見えます。

しかし常識や法を軽視すると社会的に失敗する恐れが大きくなります。
常識や法は人類の長い社会経験から生まれた知恵であるからです。

常識や法を軽視してまで自分の感情を重視するのは思い上がりではないでしょうか。
自分が失敗するだけならまだいいのですが、他人まで不幸にする場合が多いと思います。
特に国の長が自分の感情を重視し、常識や法を軽視するとその悪影響は非常に大きいと思います。

アメリカのプレジデントブッシュがいい例です。
最初彼のイラク戦争は圧倒的国民支持を受けました。
しかし今では30%台の人しか支持していません。

ブッシュ氏も人々も、01年の同時多発テロで感情的になりすぎ、常識や法を軽視したと思います。
彼らはどうしてテロを受けたかと冷静に考えることができませんでした。
また先を読むことができませんでした。
すぐ終わるはずだったイラク戦争は終わりません。
世界における反アメリカ感情は高まる一方で、アメリカがテロを受ける恐れは消えていません。

現在のブッシュ氏と人々はどうでしょうか。
依然としてブッシュ氏も感情的だし、考えを変えた人々も今度は戦争が終わらないからと言って感情的になっています。
アメリカは相変わらず常識や法を重視する冷静さを欠いています。

アメリカは思い上がっていると思います。
アメリカの人々は強国アメリカを意識しすぎていると思います。
したがってアメリカはまだまだ失敗を続けるでしょう。

このような時、日本は常識や法を重視して独自の世界観を持てるといいのですが、どうもアメリカに引きずられ、調子がでません。
残念なことです。

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2005.11.16

世界を最大の行政単位として考えよう

momiji

個人が自分で自分を守ることは基本です。
しかしこれはむずかしいことです。
そこで人々は国をつくって他人を攻撃しないという法律を設け、違反した人を国が罰することにしました。

しかし国を外国から守る方法となると私達はなかなか先に進めないでいます。

国が自分で自分を守ることは基本です。
しかし日本を見ると攻撃される恐怖を持っています。
どうやら自分で自分を守る方法ではむずかしいようです。

そこで日本はアメリカと安全保障条約を結び防衛力を高めて外国から攻撃されないようにしています。
それでも攻撃される恐怖を持ち、自分の軍備を拡充したいと考えています。

どうして世界という行政単位を考えて、外国を攻撃しないという国際法を設け、違反した国を世界が罰する仕組みをつくることができないのでしょうか。

原因はアメリカなど現在の強国にあると思います。
日本は強国に反対しないどころか、強国になりたいと考えています。

強国は、世界的仕組みは要らない、自分が世界の政府であり、警察であると考えます。
この強国の発想は、昔の大名の発想に似ています。
徳川が武力を行使して他の大中小名を押さえ、日本の政府、警察を担当したのと似ています。

要するに私達は世界に関してはまだ古い政治思想を捨てていないことがわかります。
ちょっと前に出ることは勇気のいることですが、現代人は現代らしく考えてこそ現代に生きていると言えると思います。

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2005.11.15

人工衛星から見た地球

下の青色の「衛星写真」の言葉をクリックするとGoogle Localの地球の衛星写真を見ることができます。
左のプラスマイナスの記号をクリックすると画像の拡大縮小ができます。
画像のどこかをクリックしたままドラッグすると画像を上下左右に移動させることができます。
解像力のいい地域は、一戸建の家まで見えます。
右上のMapをクリックすると衛星写真に対応する地図を見ることができます。


衛星写真

日本は、関東が緑が失われてしまったことが目立ちますが、まだ緑の島と呼ぶことができます。
狭い国土で人口が多いのによく緑を保存できたと思います。
今後も守りたい緑です。

しかし代わりに都市に人口が集中しました。
そのため都市の環境破壊がひどい状態です。
細くて複雑な昔の道路が残り、住宅、店、事務所、工場が雑然と密集し、都市には安全と美しさがありません。

今後人口が減るそうですが、その人口減少を生かして都市環境をどのように改善するかが大きな課題と思います。
使えないとか、使いにくい建物から取り壊し、緑などの空間を増やすようにするといいと思います。

なお人口減少は私はそれほど心配していません。
人口が減っても今後も民需向け技術開発を重視することが大切です。
労働力不足は機械やロボットで補うようにすればいいでしょう。

エネルギーについては太陽エネルギー利用技術の開発や森林資源利用技術の開発など新エネルギー技術開発に従来の原子力技術開発にかけてきたと同じ程度の予算を回すべきです。
外国の砂漠や荒地を新エネルギー生産地に変えるようにすれば外国から喜ばれるでしょう。

地球の衛星写真を見ているともう環境破壊は止め、これからは環境改善をやりたいという気持ちになります。

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2005.11.13

雨が降っているが防災訓練をやるか

kiku1

昨日自治会による防災訓練がありました。
あいにく朝から冷たい雨が降っていました。
するとある人から「雨が降っていますが、防災訓練をやりますか」と電話がありました。

災害は晴れた日に来るとは限りません。
雨の日だって適切な行動が取れなければ死ぬ確率が高くなります。
防災訓練は運動会ではありません。

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2005.11.12

国際交流ボランティア活動

huji

国際交流ボランティアにはまだまだ問題が多いと思います。

ある国の人と交流してその人が無礼だったと言ってその国の人とは二度と交流しないと言うボランティアがいます。
日本人だって無礼な人は大勢います。
たまたまその人が無礼であったとしてもその国の人がみんな無礼などということはありません。

あの国は気にくわないからあの国の人とは交流しないと言うボランティアもいます。
気にくわない国にも交流できる人は大勢います。

国を差別して交流する、しないと考えるボランティアについてはちょっとボランティアとして問題があると思います。
自分の生活の飾りとして国際交流を考えているのではないでしょうか。
外国人と交流していることが格好がいいと思っているのではないでしょうか。

交流に障害があるからこそその障害を低くしようと努力するのが国際交流ボランティアの活動の重要な目的と思います。
交流が政治であれ、経済であれ、文化であれ、むずかしいから国際交流ボランティアの存在価値があると思います。

国際交流には人間関係づくりが大切ですが、人は千差万別ですから失敗する場合は多いと思います。
その場合は相手が悪い、相手の国が悪いと考えて自分の不満を静めるのではなく、自分はボランティアとしてはまだまだ至らないと思って自分の思考や行動を改善する方がいいと思います。

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2005.11.08

在日アメリカ軍は本当に必要か

hakonenoki

現在在日アメリカ軍再編成が問題になっています。
アメリカ政府と日本政府は、在日アメリカ軍が必要という前提で話し合っています。
恐らく日本の人々も在日アメリカ軍のおかげで日本は平和と思っているでしょう。

しかしアメリカ軍基地がある県民や市民の、基地に対する強い反対を考えると、本当に在日アメリカ軍は必要かと考え直してみる必要があると思います。

冷戦時代は終わりました。
日本政府はどの外国政府とも友好的に話し合うことができる時代です。
現在日本を攻撃したいと思っている外国政府はないと思います。

したがって在日アメリカ軍もある、自衛隊もあるというのは軍事力過大であると思います。
どうしても、外国政府から攻撃される恐怖を捨てることができないと言うならば、当面自衛隊を残せばいいでしょう。
防衛費を増やす必要はないと思います。
念のため恐怖に対応した自衛隊の機能を改善する程度で十分と思います。

もし日本政府がもうちょっと外交上手になるならば自衛隊が戦争することはないでしょう。
そして防衛費削減すら可能になるでしょう。

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2005.11.03

必要なものは意外に少ない

hakone-koyo

今日は文化の日です。
たとえば文化の日にちなんで政府も人々もいっぱい無駄なことをやるでしょう。
それで財政赤字、家計赤字ではちょっと問題です。

私は概して人のやることはやりません。
やる必要があると思ったことしかやらないからです。
捨てた慣習は無数です。

捨てたと他人に言うと他人は私を非常識と非難するかもしれません。
そこで他人に言いません。
すると他人は、私のしたことに無関心でして、誰も私が慣習を捨てたことに気付きません。

実は、世の中、今は慣習の風化が起こっています。
心の中ではやりたくないと思っているのに慣習だからと思ってやっている人はまだ多いでしょう。
そんな中途半端な自分のことで頭がいっぱいだから、彼らは他人のことまで考えません。

慣習については本当によい慣習が残ればそれで十分です。
人の命のために役立つ慣習、これが本当の慣習でしょう。

誰かの商売に役立つ慣習などを大切な慣習と思い込んだらおかねがどんどん出て行くでしょう。
必要がないと思ったら勇気を出して捨てるようにすると意外に収支は黒字になるものです。

つまり生きるのに本当に必要なものは意外に少ないというのが私の65年の人生の感想です。

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2005.11.01

成功物語は死んでから書いた方がいい

niwa

死んでしまったら書けないではないかと思うでしょう。

昔ある人が事業に成功して大金持ちになり、成功物語を書きました。
大勢の人がその本を読んで感動しました。
みんな、私にもできるという気持ちになりました。

ところがその人はその後事業不振で、とうとう借金取りに追い回されるようになりました。
あまりにも借金が多く、金貸しに振り回されて、最早自主性を発揮することができず、煮るなり焼くなり勝手にしてくれといった状態です。

本に書いてあるとおり再起するならすごいということになりますがむずかしいかもしれません。

いずれにせよ、人生は波です。
成功裏に死ぬか、失敗裏に死ぬか、誰もわかりません。
だから成功物語は死んでから書いた方がいいのではないでしょうか。

つまり、もし誰か奇特な人がいて成功物語を書いてくれるならそれはそれで結構と思うぐらいがいいと思います。

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