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2005.12.05

明日も生きる

今を生きよとか、今日を生きよという教えがあります。
明日のことはわからないから今日一生懸命生きよと教えているのでしょう。
昨日は今日につながり、今日は明日につながるから今日を生きることは明日も生きることになると教えているのでしょう。

でもちょっと消極的です。
自我に未来を考える機能があることを軽視していると思います。

今の生き方がいいか悪いかどうやって判断すればいいでしょうか。
誰でも犯罪とわかる犯罪で人生を棒に振る人は跡を絶ちません。
よりよい生き方を追求せず、今日も昨日と同じように生きている人は無数です。
今日を生きよと教えている先生ですら過去の慣習に生きている人が多いと思います。

未来のことを考えないからではないでしょうか。
予測しないからではないでしょうか。

予測に批判的な人は予測しても当らないと言います。
これでは今日行なう計画、準備、予習などに力が入らないでしょう。

明日も生きる。
この考え方の方が積極的で健全です。
明日があると思えば今日行なう計画、準備、予習などが楽しくなるでしょう。

仮に明日死ぬとしても明日に希望をもって生きた方が明るいと思います。
いつ死んでも、死ぬまで明るく生き生きと生きた方が、死ぬとき、生きてよかったと思うと思います。

でも、未来と言っても、死後も生きるというのは未来すぎます。
誰も死後のことなど知りません。
知らない人の言うことなど信じて死後の生活を夢見るのは空想的すぎます。

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