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2005.12.07

罪と罰は対

hakonekowakidani
箱根小涌谷

私は仏罰とか神罰を信じていません。
しかし小さい時からよく馬鹿をやっては叱られたり、怪我をしたり、長く寝込んだりしましたので、母からよく言われた天罰覿面(てきめん)という言葉が頭から離れません。

それでも懲りないもので大きくなってからも馬鹿をやってしまったことが何度もあります。
やはり私は許容範囲が狭くてすぐ罰を受けました。

このような経験から罪と罰は対という思いを深くしています。
生きている間に罰を受けない人がいるという人がいますが、間違っていると思います。

罪はばれなければ罰されないと思うのは甘いと思います。
逮捕されなければ罰されないと思うのも現実を知らなさすぎます。
罪を犯しても戦争や裁判に勝てば罰されないと思うのも考えが浅いと思います。

罪はまず心から自由を奪います。
すると何事においても言動が不自由になります。
人や社会から罰されなくても自分で自分を罰するという現象が生じます。
その上、早晩、人や社会からも罰されることが多いと思います。

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