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2005.12.24

クリスマスイブ

okinawanonohana
沖縄本島平和記念公園にて

キリスト教とは無関係に日本ではクリスマスイブがお祭りとして定着し、多くの人々がケーキ、ディナー、カード、プレゼント、ツリーを楽しんでいます。
最近は街や家の庭の電飾も一般化しました。

お祭りは、世界中誰でも、子供も親も、若者も大人も、そして関連産業も喜びます。
今日は土曜日ですから家でクリスマスイブを楽しむ人が多いでしょう。

私の家は、子供が全員独立していますので、ちょっとクリスマスイブの行事から遠ざかりました。
キリスト教会が集いに来いと誘ってくれますが、信者ではないので気が引けます。

イエスが12月に生まれかどうかは学問的には証明できません。
確かな資料がないからです。
イエスの誕生を祝う気持ちと、これから日が長くなる冬至を祝うヨーロッパのお祭りが組み合わさってクリスマスが成立したのでしょう。
事実はともあれ今夜はイエスについて静かに考えて過ごしたいと思います。

今私がイエスについて持っている問題意識は、神は犠牲を喜ばないとあるのに、どうしてイエスは自分を犠牲にすることを考えたのかということです。
またどうしてキリスト教会は、イエスは十字架にかかって人々の罪をあがなったという考えを肯定したのかということです。

罪をあがなわれたはずの人々が、さらにはキリスト教信者までが、どうして人を殺し、また戦争するのでしょうか。

個人の罪からの解放は、イエスの十字架とは関係なく、個人の悔い改め、回心、新生の問題ではないでしょうか。
十字架にかかったイエスのことを思って悔い改める人もいるでしょう。
イエスのことを思わなくても回心する人もいるでしょう。
人が新生するきっかけは様々です。

キリスト教信者もそうでない人も、自我とか心について静かに考えてみるといいと思います。

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