一神教は絶対か
既存の一神教では神の言葉と人間の言葉という概念があります。
そこで一神教の教典に書かれている神の言葉を検討してみると、別に人間の言葉としても問題ない言葉が神の言葉として書かれています。
一神教で一番重要な考えは神は一人であるという考えだと思います。
一神教の教典には神がそう言ったと書いてあります。
ということは預言者がそう聞いたということでしょう。
預言者が、神から聞いたことは事実であったと思います。
なぜなら神を信じる人が神の言葉を聞くことはよく起こります。
神は天に存在すると信じる人は天の方から聞きます。
山に存在すると信じる人は山の方から聞きます。
神殿の奥に存在すると信じる人は神殿の奥の方から聞きます。
心の奥に存在すると信じる人は心の奥の方から聞きます。
しかし預言者が聞いたとしても普通の人には聞こえなかったでしょう。
したがって客観的に言えば神から聞いたという出来事は預言者の心の中で起こったことと考えられます。
いろいろな考えを分類すると、生きるのに有益な考えと有害な考えに分けることができます。
人々が宗教的である場合、生きるのに有益な考えを人々に説得するには、預言者が神から聞いたとか、神の考えであるとした方が説得力があります。
預言者は神を信じていますから、何の抵抗もなく、神から聞いたとか、神の考えであると思い込むでしょう。
ところで一神教が人々が生きるのに有益か有害かはむずかしい問題です。
一神教信者の中には人を殺したり、戦争する人が大勢います。
このような現実を見ると一神教は有害に見えます。
それでは一神教以外の宗教を信じている人はどうでしょうか。
やはり人を殺したり、戦争する人が大勢います。
一神教以外の宗教も有害に見えます。
とすると一神教か一神教以外の宗教かは、どうも人間が生きるのにそれほど重要ではないという結論が得られます。
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