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2006.01.31

人間がつくったものも自然にできたもの?

eucalyptus
横浜の金沢動物園のユーカリ

人間がつくったものも自然にできたものという考えがあります。

通常、人間は自然にできたものと考えられています。
つまり自然な存在です。
その自然な人間がつくったものは当然自然にできたものの一つではないかという考えです。

蜂の巣は蜂がつくった見事な作品です。
ところが私達は自然にできたものと思い、自然の仕組みはすごいなどと感心します。
それなのに自動車やパソコンが自然にできたと言ったら99%の人がおかしいと言うでしょう。

そこで、人間は自然に知性が発達した結果、自動車やパソコンを開発したのは必然性があったという言い方をしてみましょう。
何か自動車やパソコンが自然にできたような感じがするでしょう。

人間の体は、種々の機能の細胞や組織が有機的に一体となって出来上がっています。
いろいろな進化の形が考えられますが、別々に存在していた有機物や無機物、細胞、組織などが融合して、一段と生物学的機能が高まったことも考えられています。
そして生きることができるものが生きてきたと考えられています。

とすると体と一体になっていなくても体のまわりに人間がつくったもの(考えようによっては自然にできたもの)などを配置してこれらのものと有機的に人間が生きることは体という有機体の自然な拡大現象という感じがします。

人間がつくったものも実は自然にできたものなのに、ほかの自然にできたものと比較すると人間が不自然と思うので、人間は、人間がつくったものを不自然と言っているだけかもしれません。

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2006.01.29

幼児の世話

1月中旬娘に第2子が誕生しました。
そこで娘の1才の長男の世話をよくしました。

まだ長男は言葉を話すことができません。
最近急速によく歩くようになりました。

世話に慣れていない私は最初は往生しました。
忙しいのでつい私の時間感覚で私がやらせたいことをやらせようとしますから幼児は反抗します。
するともう手に負えません。
何をやらせても反抗します。

よく観察していますと自分のやりたいことを満足するまでやらないと気がすまないことがわかりました。
そうすることが幼児にとって学習であることがわかりました。

幼児の世話は私が十分な時間を用意して幼児の時間感覚で対応しないとできないことがわかりました。
そこでほかの仕事を減らして幼児を見ている時間を十分とるようにしました。
すると成功で幼児は私を信頼するか、私がいると安心するようになりました。
さらには私を見て学習するようになりました。
こうなればもう反抗されることはあまりありません。
世話が大変楽になりました。

恐るべき学習能力に驚きました。
表情も手足の動かし方も私から学習します。

幼児は言葉を話さなくてもちゃんと言葉を聞いて覚えていきます。
したがって大人はきれいな言葉で幼児に話しかけながら世話をすることが重要です。

言葉を話せないから、話しかけなくてもいいとか、きたない言葉を使っても覚えないと思っていると養育に失敗します。

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2006.01.27

宗教団体の経営

友人の中に僧になる資格を持った人がいます。
お祖父さんが高僧で、その人から教えを受けたそうです。

お父さんもある大寺の住職だったそうです。
しかし何故か彼はお父さんのお話をしません。
彼は普通の大学に行き、普通の会社に就職しました。

そして定年で会社を退職しました。
すると空いている寺があるから住職になってくれという依頼が宗教団体から来たそうです。
しかし友人は断ったそうです。

友人はよく宗教のお話しをしますから宗教が嫌いのようではありません。
住職が嫌いのようです。
住職にならない理由として彼が話してくれたことは次のようなことです。

1. お兄さんが宗教団体の事務系幹部とのことですが、団体の収益の心配ばかりしているそうです。
2. 住職になると、寺の収益が心配で、宗教と住職の言動が矛盾することがあるそうです。
(友人は純粋な人ですからこの問題でお父さんとぶつかったのではないかと想像しています。)

ガウタマ・シッダールタ(シャカ)は食べ物について乞食(こつじき)を教えたそうです。
食を乞うとありますが、別に乞わないそうです。

僧が家々をまわると人々の方から食べ物をくれるそうです。
僧はあまり生活の心配をしないか、する必要がありません。

どこにいても誰かが食べ物を持ってきてくれる。
家を訪問するとその家の人が食べ物を出してくれる。

つまり僧と人々の間には暗黙の契約が成り立っており、僧は人々に教え、人々は僧の生活の面倒を見るようです。
僧は生活の心配をせず、宗教を修学するようです。

私が育った静岡県西部は、ある仏教宗派の寺が非常に多いところです。
聞くところによると中世政治が乱れ農業が荒廃した時、この宗派の僧が、献身的に人々に生き方や農業改善を教え、民生を安定化させたそうです。
人々は感謝して僧の生活を支えたそうです。
こうして寺が増えたそうです。

現代ではこのような関係が希薄になりつつあるように思います。

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2006.01.25

株の売買の過熱

預貯金金利が実質0であるため、株の売買による資金運用が重視されたのでしょう。
お金が大量に株式市場に流れ込みつつあります。
株式市場はバブル状態という説が流れています。

昔会社に入社してまもなく一人の先輩が、給料より株の売買益の方が多いと言って、私に株の売買をすすめました。
どこか会社の仕事が上の空の人でしたので私はこの先輩を評価していませんでした。
したがって株の売買をやってみようという気持ちにはなりませんでした。

会社で仕事をやっているうちに次第に株式に関する知識を学びました。
会社が資本を集めるのに重要な仕組みであることも学びました。
30代後半株の売買をやったことがあります。
しかし毎朝毎晩株価を新聞でチェックするとか、証券会社に行くなどが面倒くさくて、本職の技術開発に注力した方がいいと決心し、持っている株を全部売却して、それ以来、今日に至るまで株の売買はやっていません。

現代はインターネットで情報収集も株の売買もできますから大変便利です。
それでも私がやらない理由の一つは、適正な株価がいくらかわからないからです。
恐らく適正な株価を検討したら、現在の株価はほとんど高すぎるという結果が出るでしょう。
高かったら売るというならわかりますが、高くても買い、もっと高くなったら売るというのは株に無知な私にはできませんし、やりたいとも思いません。

全体が上がっている時は誰でも株の売買で儲かります。
儲かるとこれはいけるとさらにお金を注ぎ込みますから株式市場が膨らみます。
やがて限界が来てバブルがはじけます。

株で損した人がでます。
これは自己責任と思いますが、そのあおりで経済が混乱するのは迷惑です。
今は株式市場の冷却の仕組みが重要です。

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2006.01.23

犬を可愛がっていた女性

雪におおわれた大地を見て一人の女性が言いました。
「ケンちゃん、雪の下で寒そう。」(ケンは犬の名前)

犬は数年前に亡くなって遺骨が埋葬されました。

続けて女性は言いました。
「でも雪の下にはいないわね。私の心の中に思い出として生きているから。私の心は暖かいから、ケンちゃん、寒くはないわね。」

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2006.01.21

戦争で死んでいいことはあるだろうか

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06.1.21横浜の雪
今冬初めての雪ですが、真冬の雪というより春の雪という感じです。

さて戦争で死んだ人のことをよく考えます。
何を考えて戦争し、何を考えながら死んだのでしょうか。

戦争で死んだ人は正義のために死んだのでしょうか。
国のため世界のために死んだのでしょうか。
自分のため人々のためになったのでしょうか。

第二次世界大戦では数千万人の人が死にました。
彼らは戦争で死んで何かいいことがあったでしょうか。

今イラク戦争が行なわれていますが、この戦争で死んでよかった人なんているでしょうか。
戦争指導者が説いた戦争の正義は本当に正義だったでしょうか。

折角生まれて生きてきたのだから生きていた方がよかったのではないでしょうか。
私は人々が戦争で死んだことをただ悲しみます。
戦争で死んではいけなかったのだと思います。

だからこれからも戦争で死んではいけないと思います。
それゆえ戦争してはいけないと思います。
敵意をあおり、人々を戦争に駆り立てる人々に対し私は反対します。

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2006.01.19

他人の非を責めても自分の非が許されることはない

ある利用無料のボランティアサロンでボランティアしか使えない机と椅子をボランティアではない青年グループが使っていて管理責任者から注意されました。
するとその中の一人の青年が、規則違反をやっている人ならほかにもいる、なぜ私達だけが注意されたのか、ほかの人が規則違反していないか調べたかと管理責任者に食いさがりました。

そう言われるとそのとおりという面があったようで管理責任者は途方にくれ、とうとう青年と一緒に各机を回って利用者がボランティアかどうか聞くことにしました。

しかし最初の机で青年は一人のボランティアから厳しく叱られました。
同じようにみんなから叱られるのはたまらないと思ったのでしょう、青年は聞いて回ることをやめました。

仮に規則違反者がほかにいたとしても、そして管理責任者の不公平を証明できたとしても、自分の違反は違反です。

他人のことはさておき、まず自分の非を認め、自分を正すことができないようでは社会性があるとは言えません。
あっちで注意され、こっちで叱られます。
社会の中で楽しく生きることはむずかしいでしょう。

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2006.01.17

エネルギー技術開発に限界はない

エネルギーについてはいろいろと心配している人が多いことと思います。
火力発電により大気中の炭酸ガスの量が増えている、原子力発電により放射性物質の蓄積と拡散が拡大しているなどの環境上の問題はすでに深刻です。

とすると火力発電も原子力発電も減らした方がいいということになるのですが、世界全体としては反対の方向にあり、エネルギー資源の争奪戦まで心配されています。

私は太陽エネルギー利用技術は現代のエネルギー問題の重要な解決策と思っています。

太陽エネルギー利用技術の開発はまだ初期段階です。
原子力開発と比較しますと、投入した研究者、資金ははるかに少ないと思います。
それでも現時点で実効エネルギー変換効率が12%と聞きますからなかなかの進歩と思います。
現状でも屋根などに太陽電池をのせればかなりの電力を生産することができます。

夜間や晴れていない日に電力を使うためには蓄電が必要ですが、キャパシタとその制御装置の改良など新蓄電技術開発で長寿命大容量の蓄電装置が実現しつつあります。

技術開発の面白さは、既存技術者が駄目だ、できないと言っている新技術が、やがて飛躍的に進歩し、社会を大きく変えることです。

もし発電は火力しかない、原子力しかないと言っていたらさらに環境悪化が進み、その上、本当にエネルギー資源争奪戦が生じて二重に生命は危険になるでしょう。

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2006.01.15

宗教的慣習の安全性

昨日横浜は雨となり雷がとどろき夜になると大風が吹きました。
これは横浜の春一番の特徴です。
今朝は穏やかに晴れ、春の陽気です。
1月中旬にこのような天気になるのはちょっとめずらしいと思います。

さて、1月12日サウジアラビアのメッカ東方12kmにあるミナにおける石投げの儀式でイスラム教巡礼者約350人が圧死したとのことです。
巡礼期間中に集まる人の数は200万人以上だそうです。

日本の初詣で有名な神社仏閣に集まる人の数がやはり100万人の単位です。
有名な神社仏閣への初詣は危険と隣り合わせです。
私は、昔鎌倉八幡宮に初詣に行って身動きが取れず、恐怖を感じて早めに流れから脱出したことがあります。

巡礼や初詣に行って死んだり、けがをしたりしたら、何のための宗教行事ということになります。
信者の側だけでなく、宗教団体の側も、安全を重視し、宗教的慣習を安全にする工夫と努力をすべきと思います。
安全のためには慣習の形を変えることを検討していいと思います。
安全は警察だけの仕事ではなく、宗教の仕事でもあります。

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2006.01.13

無貯蓄比率が増加しているが、貯蓄は現代でも重要

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最近の金融広報中央委員会発表によると、世帯の無貯蓄比率は約24%で、今後さらに上がるとのことです。
収入-支出>0を重視しない人が増えているのでしょう。

昔はみんな貧乏でしたのでみんな節約しましたから貯蓄しやすい雰囲気がありました。
今はみんな豊かになり、みんな消費しますので貯蓄しにくい雰囲気があるのでしょう。
貧乏でも消費してしまう傾向はないでしょうか。

無貯蓄は、未来に対する企画力を弱める恐れがあります。
企画力が弱まると将来も収入がそれほど増えないかもしれません。
ゆとりがないと生活の心配をしながら生きる恐れがあります。
すると怒りっぽくなるか反対に元気がなくなる恐れがあります。

私は貧乏な家庭に育ちましたが、親から、いかに貧乏でも収入の1/10は貯蓄に回せと教えられました。
節約をしましたが貯蓄の習慣のおかげで実質無借金で生活することができました。
(ちゃんと返済を考えた借金はしました。)
会社をやめて自分で事業を行なう資本もつくることができました。

貯蓄し、その貯蓄を未来のために使う習慣は現代でも重要ではないでしょうか。
みんながあっちと言っても自分はこっちに行く勇気はいつの時代でも必要です。

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2006.01.11

事業は企画の熟成が大切

昔のことですが、会社員の先輩が別の大先輩と新会社をつくるが一緒に会社を経営しないかと誘ってきました。
「別の大先輩」は学者っぽくて事業には向かない人だと思っていたし、私も会社経営は得意ではないので経営に参加することをお断りしました。

ところが先輩は、「別の大先輩」が、会社をやめることによって決心を固めよと言ったと言って、企画をつめないまま会社をやめてしまいました。
いわゆる背水の陣をしくということでしょう。

不幸なことに企画はうまく行かず、「別の大先輩」は逃げ出し、先輩は失業してしまいました。
もとの会社に戻ることができず、先輩は結局前より労働条件の悪い会社に再就職せざるをえませんでした。
先輩は失業の恐怖がこんなに恐ろしいとは想像もしなかったと言いました。

背水の陣をしいても、今の会社が嫌だからとか、誰かの思いつきに飛びついて事業をやるのは失敗のもとです。
事業は、自分で企画を熟成し、自分が事業をやっている姿を想像できるぐらいになってからやった方がいいと思います。

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2006.01.09

生きることは食べること

成人になられた方々にお祝いを申し上げます。

さて普通1日3回食べます。
食事以外のことは食事の合間にやっている感じです。
よく考えると仕事だって食べるためにやっています。

生活のことを寝食と言います。
しかし寝食を比較すると、寝る方は、眠くなれば1日1回寝るだけですみますが、食べる方は3回も食べ物を用意し、それから食べなければなりません。
これはなかなか大変なことです。

戦中戦後の子供時代、私は栄養失調で病気ばかりしていました。
会社に入って給料をもらって十分食べることができるようになったとき、正直、命が助かったと思いました。
月給2万円ちょっとのとき、月に1回1,000円のキングステーキを食べて、無上の喜びを感じたことを覚えています。

親は貧乏でしたが、食事は朝晩家族で一緒にとっていました。
粗食でしたが楽しいひとときでした。
ですから、結婚し、家族ができてからは家族一緒に食べることを大切にしました。

現代人は家族で食事をすることがむずかしくなっています。
できるだけ一緒に食べないと家族の関係が希薄になるのではないでしょうか。
家族で一緒に食べることを大切にしない親や子供が増えていないか心配です。
食事の時は最高の情報交換の時でもあります。

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2006.01.07

時には群れから出る

枝に残った柿が少なくなった晩秋のことです。
残った柿にいろいろな鳥が群がります。

一つの柿をついばむのは通常一羽の鳥です。
柿が足りませんのでよく喧嘩が生じます。
ついばんでいる鳥に飛びかかって追い払い、ついばむ鳥もいます。
飛びかかってくる鳥を追い返し、ついばみ続ける鳥もいます。

よく観察すると柿に鳥が来ていない時間の方が長いようです。
群がらないで来れば自分だけで落ち着いて柿を食べることができるのにどうして鳥は群がるのでしょうか。

生きるとか子孫を残すには群がっていた方がいいのでしょう。
限られた餌を争うことになっても群がっていた方がいいのでしょう。

人間も群がる傾向を持っています。
群がって他人と同じことをやっていると、せわしいし、争いがあるし、不必要なことをやってしまいます。

しかし人間は自我が発達し、自我には感性知性があり、よく考えることができます。
時には群れから出て、落ち着いて考える時間を持つことができます。

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2006.01.05

初詣

私は初詣に行きません。

子供の頃、神社仏閣に行くと、どこに神仏がいるのか好奇心をもって社殿の奥の方に侵入しました。
中を覗き込んだり、裏に回ってそれらしきものを探し回りました。
いつも人間がつくったものしか発見できず、がっかりしました。
がらくたが埃にまみれて物陰に放置されているのを見たときは、物置みたいと思いました。

子供心に神社仏閣に神仏はいないと確信しました。
だから神社仏閣に行ってもお賽銭をあげたいという気持ちが全然生じません。

若い頃、正月、明治神宮、鎌倉八幡宮に行ったことがあります。
会社の同僚がみんなで行こうということになり、お付き合いで行きました。
ものすごい人出で驚きました。
嫌になってしまい早めに流れの外に出ました。

神社仏閣が嫌いということはありません。
置物や飾り、仏像、建物、庭園などに思想・信仰、歴史、芸術、技術を感じます。
散歩や留学生の案内などで時々行きます。

お賽銭をあげて一生懸命祈っている人を見て、馬鹿なことをやっていると思ったことはありません。
何故ならその人の祈りの心を強く感じるからです。

お祈りについては何に祈るかより何を祈るかが重要だと思っています。
神道の神でも、仏でも、一神教の神でも、本人が何に祈っているか知らなくても、祈ることに効果があり、その効果は同じと思っています。

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2006.01.03

政府と個人

やはり正月は明るい方がいいですね。
横浜は元日は曇り、二日は雨と、暗くて寒かったのですが、今日は青空が広がり、暖かな日になりました。

さて、いつもの論調に戻りますが、ややもすると個人は政府より下と考えやすいが、個人は政府よりはるかに自由であり、責任が重い立場にあります。

政府は機関であって人ではありません。
法律に基づいて政治を行ないます。
その法律は、個人である私達が選んだ国会議員からなる国会が制定します。

個人は、法律がある領域では法律の外に出ると罰されることがありますが、そのほかの領域では自由で自分で考え行ないます。
法律の中でも自由度は非常に大きく、やはり自分で考え行ないます。
現在の法律についても、個人は、法律に問題はないか、改善すべきことはないか考える責任を持っています。

何となく政府が上で個人が下と思えてしまう原因は、政府が、こと政治については非常に大きな予算で大きな仕事をするからです。

政府に従がうだけでは個人は自分に与えられた自由を生かすことができません。
個人の責任を全うすることもできません。

個人は、政府を自分の上にしない気概を持った方がいいと思います。
個人が考えるべき問題を政府に考えてもらうようなことはしてはならないと思います。

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2006.01.01

人口減少

s-inu

明けましておめでとうございます。
ご平安をお祈り申し上げます。

横浜は曇りで非常に寒い日になりました。
午前中はいただいた年賀状に返事を書いたりして過ごしました。
宛名は筆で書くようにしています。
毎年宛名を筆で書いているだけで何か筆が上達するような感じがします。

さて政府の人口動態統計の推計値によると、昨年、日本の人口がとうとう減少に転じたようです。
しかし私は人口減少についてはそれほど深刻に思っていません。
したがって政治的に外国から労働力を入れることには反対です。
政府は後で起こる諸問題に対して対策をとれないからです。

とは言え、人口が減れば現実いろいろな問題が発生すると思います。
老人の割合が増えます。
労働人口減少を技術で100%補うことは困難ですから、老人も働いた方がいいのですが、老人向きの職が少ないのが現状です。

老人の金融資産が実経済に有効に使われてうまく若い人々にお金が回るようになるといいのですが、老人はお金の使い方を知っているでしょうか。

世代間の溝が深まらないことを祈ります。
協力し合い、よい考えを出し合って問題解決に取り組むならば問題の極小化ができるのではないでしょうか。

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