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2006.02.14

宗教性半分、非宗教性半分

宗教を信じていると言う人ほど、宗教を信じていないように見えるときがあります。
宗教を信じていないと言う人ほど、宗教を信じているように見えるときがあります。
これはいったいどういうことでしょうか。

自我は宗教性半分、非宗教性半分ということではないでしょうか。

宗教信者は自分は宗教信者と思っているのですが、はたから見ると別に宗教信者に見えません。

まず言えることは宗教信者が無宗教者と一緒に生活しているからでしょう。
宗教信者だって生活、仕事、事業のこととなると無宗教者と変わりはありません。
科学も学問し、技術開発も行なっています。
いくら宗教の先生が執着するな、生活の心配をするなと教えても、執着し、生活の心配をします。
教えている先生だって執着し、生活の心配をします。

もし宗教信者が無宗教者の生き方を否定するなら宗教信者の社会を特別につくるしかありません。
そのような社会はあることはありますが、一般的ではありません。

親しいお付き合いは宗教信者同士を重視している人が多いかもしれませんが、職場では無宗教者と同じことをしています。
だから職場では誰が宗教信者かわからないことが多いでしょう。

それでは無宗教者はどうでしょうか。
彼らは自分は無宗教者と思っています。
ところが彼らのお話しを聞いてみますと、これといった既存宗教や新興宗教は信じていなくても、意外に宗教性を持っていることに驚きます。

これらのことから考えると、宗教性の本質は、既存宗教や新興宗教のそのまた奥にあるような誰でも持っている共通精神のように思えます。
非宗教性の本質も実は共通精神と思います。

人はみな同じですが、その人が自分は宗教信者と思うと宗教信者、無宗教者と思うと無宗教者になるだけではないでしょうか。

では、どうして自我は宗教性半分、非宗教性半分になるのでしょうか。

世界は自我から見ると自我の外側の世界と内側の世界があります。
自我は外側の世界と内側の世界にはさまれています。

その間にあって自我は両側の世界と調和しなければならなかったし、実際そうしてきました。
そうしないと人は生きることができないからです。

外側の世界は唯物的、非宗教的、内側の世界は唯心的、宗教的です。
つまり外側の世界と内側の世界に対し自我は界面活性剤のような働きをしているのではないでしょうか。
だから自我は誰でも宗教性半分、非宗教性半分になるのだと思います。

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