人の命重視の心が乱暴のブレーキ
人から乱暴な言動を受けることは不愉快なことです。
不愉快な思いをするより無関係でいたい、あっさりした関係でいたいという思考が強くなっていると思います。
こうして人間関係が浅くなりつつあります。
問題はやはりおおもとの乱暴な言動です。
このような傾向が夫婦の間でも親子の間でも生じていますから、現代は夫婦関係も親子関係も不安定です。
嫌いが怒りになり、憎しみに発展します。
希薄な人間関係は人を孤独にします。
しばしば人を攻撃的にします。
しかしそれで人々がいいと思っていないことは明白です。
言動には社会的許容範囲がありますが、現代は許容範囲を越えることを肯定する雰囲気があります。
戦前の道徳的抑圧的雰囲気から解放され、戦後反動的に放漫な雰囲気になったからかもしれません。
商業的な新聞雑誌テレビは無批判に放縦を記事や番組に取り入れ、人間の低劣な感性に訴えて購読者や視聴者を増やしてきたと思います。
多くの購読者、視聴者がいて儲かることは、新聞雑誌テレビの内容の価値を証明しているとの印象を与えてきました。
人々は気付かない間に自分中心、金銭主義になり、他人を軽視し、つまり人間関係を軽視し、ついには人間関係に自信を失ってきました。
このような問題を少しでも減らすためには、社会の雰囲気を変える必要があります。
商業的な新聞雑誌テレビが先生では人生は危ういと思います。
学校を出てからも教えを請うべき先生とか先輩を持つことが重要ではないでしょうか。
人々は、ことわざなどの先人の知恵を見直すことが大切です。
日本のことわざだけでなく、世界のことわざも学び、自分もよく考えるならば、戦前の抑圧的雰囲気に戻ってしまうことはないでしょう。
宗教を信じるならご利益だけで満足することなく、人の道も学ぶべきです。
教育者や心理学者の方々は、学校で教えるだけでなく、社会に提言するようになるといいと思います。
乱暴な言動から自由になるためにはやはり人の命を重視する心が大切と思います。
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