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2006.05.29

地震は来る

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06.5.27のジャワ島地震はやはり時間と共に死者の数がふくらみ、数千人規模になってしまいました。
耐震性の低い家が多かったため、倒壊した家の下敷きになって死んだ人が多かったようです。

私は子供のとき大地震を経験しています。
戦争も経験しているのですが、何故か地震の方がこわく感じます。

今私が住んでいる横浜は、1923年の関東大震災以来、大地震が起こっていません。
しかしいつか来ます。

日本はインドネシアと同様地震国ですが、やはり地震対策が遅れています。
建造物の耐震性についてやっと技術開発が行なわれるようになった段階です。
既存の建造物はほとんど耐震性がないでしょう。
地震については人知が及ばないという気持ちが働いていたからでしょう。

地震を想定して都市計画をやってきた地方自治体は皆無ではないでしょうか。

私が横浜で不安を感じている家は、山の斜面のすぐ下と斜面と斜面のすぐ上に建てられた家です。
横浜市は横浜の山の土質についてちゃんと研究し、安全性を確認した上で、斜面の宅地化を許可してきたでしょうか。
私は専門家ではありませんが、横浜の山は崩れやすいと思っています。
したがってこれらの家を見ると不安を感じます。

立地以外の問題では、家の密集と瓦の屋根とブロック塀に不安を感じます。
家の密集は火災の延焼に弱いです。
瓦の屋根の家は倒壊しやすいと思います。
家が倒れないまでも瓦が落下するでしょう。
ブロック塀は、仮に鉄筋が入れてあっても倒壊は免れないでしょう。
コンクリート製の電柱にも不安を感じます。

横浜市の消防署は、大地震が起こったら助けに行けないから、個人であるいは町の単位で頑張ってくださいと言っています。

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2006.05.26

森林は私達に何を語りかけているのか

026
奥多摩日原山地

森林が危ないと聞いたので、森林ボランティア活動に興味を持ちました。
しかしどうも心が落ち着きません。
山深い奥多摩の日原に行きましたら、森林が、森林ボランティアは森林に入るなと言っているように感じたからです。

森林ボランティア活動については中央政府も地方政府も音頭をとっています。
しかし、子供から老人まで、流行に乗って森林に入ることが本当にいいことでしょうか。
ボランティアは、自分達の安全のため森林に歩きやすい道を網状につくるのではないでしょうか。
切り開かれた道は、細くても森林にとっては切り傷のようなものではないでしょうか。
そこを歩き回るボランティアは傷口についた細菌のようなものかもしれません。

森林はどのようにして育ったのでしょうか。
気が遠くなるような長年月人がほとんど入らない状態で育ったのではないでしょうか。
この森林の歴史を原点にして保全を考えることが大事と思います。

なお大気汚染や地球温暖化が木を弱め、森林の立ち枯れの原因になっています。
これも人類の問題です。
人類が便利な生活を追求している結果、森林の破壊を加速しています。
森林が破壊したらやがて人類は狭い人工空間で生きることになるでしょう。

森林は何か言っています。
何を言っているのかよくわからない森林の声に耳を傾けることが先と思っています。

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2006.05.23

森林保全

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奥多摩日原の稲村岩

東京都の最西端に雲取山(2017m)があります。
この山を源流にして東に日原川が流れ、多摩川に合流します。
日原川の両側は石灰岩の山で斜面は非常に急峻です。
したがって谷は非常に深く、美しい渓谷になっています。

石灰岩の山が雨水で浸食を受けながらも厚く森林でおおわれたのは、気が遠くなる長年月の自然の営みの結果です。
今は山の斜面を見ますと黄緑の新緑の部分が多いですが、ミズナラです。
所々にあるトチノキの白い花が目立っています。
サクラも多い所ですが、今は目立ちません。

熊がときどき出るそうです。
また日本鹿が多くて、畑がよく荒らされるので、農家は柵を張り巡らして山の斜面の畑を防御しています。

昨日は森林について森林ボランティアの先輩から勉強するため日原川の中流にある日原という所に行ってきました。
樵がどんどん減っているそうです。
若い人はほとんど山部から都市部に移り、山の仕事にはつきません。

そこで森林ボランティアの役割が期待されています。
しかし私には森林ボランティアの仕事がまだよくわかりません。
森林の何が問題かもよくわかりません。
また森林の保全がボランティア活動でできるのかという疑問すら持っています。

今は、人間が手を加えて、大きな面で木を切ったとか、画一的に植林したとか、石垣などで土留をして畑にしたとか、道路や石垣や建物など建造物をつくったとか、石灰採集場にしたとかした山の斜面に深刻な問題があるのではないかと感じています。
当面は森林の専門家や先輩の森林ボランティアと一緒に行動しながら森林について考えてみたいと思っています。

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2006.05.20

日本に住んでいる人は日本人

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もし私が外国で生まれ育ったら私は外国人です。
どこの国に生まれ育つかはこれこそ運命です。

私はたまたま日本に生まれ育ったから日本人です。
私が決めた訳ではありません。

どこに住んでいても人は人です。

したがって「日本人意識」過剰は問題ではないでしょうか。
同じように「外国人意識」過剰も問題です。

外国人の中には日本に永住する予定でも帰化しない人がいます。
何かと不利益があると思いますが、外国人であることに誇りを持っています。

一度帰化すると元の国籍に戻れないという不安もあるでしょう、

また帰化には服従という歴史的意味合いがあり、帰化に抵抗する人もいます。
帰化人と言われると、軽蔑されたと思う人がいます。

しかし今日本に住みながら日本人ではありませんと主張し続けるのはどこか無理があるように思います。
自分は人であると考え、今は日本に住んでいるから日本人と思う方が、自然な生き方と思います。

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2006.05.17

商売と政治は別ではない

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日本人でも世界を考えて事業をやっている人は概して小泉総理の靖国神社参拝に反対です。
日本の経済団体は概して反対です。
日本と世界の関係を認識しているからです。

私達は輸出入に限らず、いろいろな形で世界と経済交流しています。
したがって政府は、経済交流を不自由にするようなことはしてはいけません。
経済交流のおかげで人々が高水準の生活を楽しんでいることを認識すべきです。

経済同友会が反対だと言ったら、総理は、商売と政治は別だと反発しましたが、信じがたい発言です。
戦後の政府は、全力で日本の経済復興を考えてきました。
政府支援の下で私達はアメリカ、ヨーロッパから技術導入し、生産と輸出に注力して経済復興を実現しました。
商売と政治は別ではありません。

現在の日本の課題は、世界の生産水準が上がる中で安定した日本の生産を考えることです。
外国の生産を否定することではありません。

したがって政府は昔よりはるかにむずかしい商売の問題をかかえていると言えます。
総理の商売認識、世界認識はあまりにも乏しいと思います。
日本が世界から孤立したら靖国神社に参拝しても日本に平安はないでしょう。

ついでですが、総理は、商売と政治は別だと発言することによって、靖国神社参拝が政治行為であることを自ら証明しました。
彼の参拝は、憲法第20条(信教の自由、国の宗教活動の禁止)に違反しています。
日本には靖国神社の信者ではない人が大勢います。
日本人なら靖国神社に参拝するはずという考えを彼らに押し付けてはいけません。

民活と言う割には、総理は人々の自由の大切さを理解していないと思います。

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2006.05.14

自民党はおかしい

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税収増に貢献すると言って自民党(カジノ・エンターテイメント小委員会)がカジノを早期に解禁すべしと言っています。
観光産業であり、経済波及効果があり、税収増、雇用増などをもたらすそうです。

サッカーくじのときもおかしいと思いましたが、自民党は生産をまじめに考えていません。
人々の射幸心や快楽好きを利用して彼らのかねを巻き上げる発想です。
実はカジノからの政治献金も期待しているでしょう。
こんな発想の自民党が愛国心を主張するのでその不調和に呆れます。

カジノを建設する場所は歓楽街でしょう。
建設した場所は歓楽街になるでしょう。
不夜城でしょう。

自民党は今問題になっている覚せい剤が主にどこで売られていると思っているのでしょうか。
もしかすると自民党は、税収増に貢献すると言って次には覚せい剤も公認にしたいと言うかもしれません。
人を食って税収増、政治献金増を考えるようでは自民党は最早有害と思います。

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2006.05.11

遅れている分野で産業をおこそう

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江戸時代幕末から第二次世界大戦までの歴史を見ますと、時代の変化に対応できなかった人々が外国および外国人に対して攻撃的になりました。
列強の帝国主義に刺激を受けたことは事実ですが、何と言っても生きる自信がなく、いらいらしている人が多かったことが根本問題でした。

ところで、世界の生産が増え、日本の経済が横這いになった現代、就職や起業ができない人は何をしたらいいかわからない状態です。
人生に自信がない人が増えつつあります。

自信がない人々の中から、軍事力が強い日本を求め、軍事力が強い日本で自信を回復したいと思う人が出ます。
彼らは昔の革マルとは全然違います。
国粋主義の特徴を持ちます。
排外的です。
目がすわり、言動は攻撃的で、親や先輩の忠告を聞かず、自分は正しいとし、平和主義者は非国民と否定し、人々にこわい印象を与えます。

大きな歴史の波を感じます。
しかし私達は世界に輸出し、世界から輸入して生活しています。
外国と対立するなら日本は経済の横這いにとどまらず、縮小に向かうでしょう。
対立ではなく、世界を政治の単位とする協調の雰囲気をつくることが必要です。

社会不安のある現代、自己責任という考えは重要ですが、社会はそれだけでは悪化します。
人生に自信のない人が増えている現実を無視してはいけないと思います。
国内の個人の所得格差是正は、内政の改善で実現すべきです。
低収入、さらには無収入の人々の収入を改善すべきです。

日本が遅れている産業分野は、そこに新事業創出の可能性があると考えるといいと思います。
農業、林業、新エネルギー事業、住宅事業、町再生事業、生活支援事業、事業支援事業、防災事業、自然環境保全事業、・・・。
やるべきことはいくらでもあります。
最善技術・システムを追求していると、世界から受注できるでしょう。

安直に失業者を自衛隊に吸収することを考えてはいけません。
防衛費を増やしても、それは消耗か、やがては破壊になるだけで、生産にはなりません。

アメリカは生産が衰退しました。
アメリカ政府は戦争に勝つ強いアメリカで国民に自信をもたせていますが、そのような自信は砂上の楼閣です。

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2006.05.08

聖霊

Hana001

私は、20代前半、回心を経験し、キリスト教信者になりました。
以前の自分とはすっかり異なり、自由で行動的で忍耐強く、聖霊が働いていると感じました。
そして50代前半まで熱心なキリスト教信者でした。

しかし、キリスト教を信じていない人でも人を愛し、生き生きと生きている人が多いこと、キリスト教で説明できない現実が多いことなどに苦悩し、50代後半キリスト教を捨てました。

ところが今でも昔感じた聖霊が働いていることを感じています。
この不思議な力はいったい何でしょうか。

イエスはヨハネから水の洗礼を受けた後、聖霊が鳩のように天から自分に下るのを感じたとのことです。
本当は聖霊はイエスが生を受けたときから彼の中に存在していたのではないでしょうか。
洗礼を受け、神の使命を実感した時、彼はそれまで感じなかった聖霊を初めて感じたのではないでしょうか。
初めて感じたので、神は天に存在していると信じていた彼は、その時聖霊が神から自分に下ったと思ったのではないでしょうか。

私は、すべての人に聖霊は内在していると思っています。
それに気付いていない人が多いのではないでしょうか。
「自分は正しい」と思うような頑固な自我が崩れたとき、頑固な自我の裏に隠されていた聖霊を人は初めて感じることができるのではないでしょうか。

20代前半に経験した回心は、私にとって非常に貴重な経験であったと思います。
キリスト教信者の方々は、今私が感じている聖霊はキリスト教の聖霊ではないと言うでしょう。
しかし私は同じ霊ではないかと思っています。

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2006.05.05

こどもの日を迎えて

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親や先生は、子供達に、日本や世界に欠けているものは何か、将来何をしてもらいたいか、何になってもらいたいか何らかのお話しはしているでしょう。
しかし現代は問題や目的が多様化しているため子供達でもわかる社会の教育的雰囲気をつくるにいたっていません。
反対にテレビ、ビデオ、ゲームなど会社が提供する商業的娯楽が社会の雰囲気を支配しています。

学びたいという動機がなかったら子供達だって学問が嫌になるでしょう。
本能的欲求に忠実になるでしょう。
テレビ、ビデオ、ゲームなどの遊びに夢中になるでしょう。

50年以上昔のお話しですが当時は学問しないと貧乏から脱出できないという社会の雰囲気がありました。
敗戦後でみんな貧乏だったからです。
私の親も大変貧乏でした。
食べるものに不足して、私は魚とり(殺生)に行ったり、鶏を飼ったり、毎日料理屋に行って魚のあら(三枚におろした背骨のある部分や頭など)をもらったりしました。
栄養失調で病気ばかりし、やせ細っていました。

当時はラジオがありましたが、流行歌ですら社会の雰囲気を悪くすると批判される時代でした。
子供達の目を奪うテレビ、ビデオ、ゲームはありませんでした。
だから商業的娯楽が社会の雰囲気を支配するということはありませんでした。
学校で先生のお話しを聞かないような生徒はあまりいませんでした。
私は病弱でよく学校を休みましたが、早く治って学校へ行きたいと思いました。

親は本を買うお金がありませんでした。
そこで倒産した本屋から本をもらってきたりしてくれました。
私も祖父母の家に行くとそこにある本や雑誌を好んで読みました。
すると祖父母は、よかったら持っていけと言ってくれました。
家に帰ると私はその本や雑誌を何度も読みました。

中学時代には、親は、夜、知り合いの高校の先生の家に私を通わせ数学の勉強をさせてくれました。
当時はそろばん塾がありましたが、これは有料でしたから通わせてもらえませんでした。
私も自発的に牧師の奥さんのところに通って英語を教えてもらいました。

当時は単純でしたが貧乏から脱出するため学問が大切という社会の雰囲気があり、子供達にもわかりやすかったと思います。
この雰囲気が子供達が学問する動機になりました。

その点、現代は社会の教育的雰囲気づくりが非常にむずかしくなっていると思います。

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2006.05.02

政府の失敗は私達の失敗

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在沖縄アメリカ海兵隊グアム移転経費の日本政府負担額最終案は、これまでの政府の要望額を大きく上回るものでした。
アメリカ政府は力の外交を得意とします。
日本政府は脅しを受けたのでしょう。

その上、最近アメリカ政府側から発表された在日アメリカ軍再編の日本政府負担総額は3兆円だそうです。
このような数字を日本政府から聞いたことは一度もありません。

恐らく日本政府は人々の批判がこわくて3兆円という数字を自分で発表できず、アメリカ政府側の発表を待ち、アメリカ政府側が言っていることで、日本政府が言っていることではないという姿勢をとったのでしょう。

財務省が負担総額を知らなかったということはありえません。
財務省は、防衛庁の予算の枠の中で負担せよと言っているそうですが見せかけでしょう。

どうして日本政府は人々に情報を提供しないで在日アメリカ軍再編問題をアメリカ政府と議論してきたのでしょうか。
人々に愛国心を求める割には日本政府は人々に情報を提供していません。

民主主義を標榜しているアメリカ政府が無視できないことは、日本政府が民主的な方法で出したアメリカ政府に対する要望です。
ところが日本政府は人々を軽視しているため人々の力を活用できていません。
だから日本政府はアメリカ政府に足元を見られます。

しかし、一番の問題は、そんな日本政府を問題にしない気がいい人が多すぎることではないでしょうか。
気がよすぎる人々にこの政府ありという感じがします。
政治の最終責任は私達にあります。
政府の失敗は私達の失敗です。

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