« 晩夏の富士山 | トップページ | 宗教団体の限界 »

2006.09.17

信者は自分の利益を追求していないか

124
オヤマボクチ 奥多摩でねねんぼうというと聞きましたが、植物図鑑にはこの名前はありません。方言でしょう。

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、イスラエル民族の先祖であるアブラハムが信じた神を信じると言います。
ところがこれらの宗教の信者は殺し合っています。

神が同じなのに殺し合うのはなぜでしょうか。
神に関する信者の解釈が異なるとしか考えられません。

どうして解釈の違いが生じるかと考えると、信者の利害がぶつかるとしか考えられません。

要するに信者は自分の利益を考えて自分は正しいと主張し、やはり同じように自分の利益を主張する他宗教信者を否定しているのだと思います。
同じ宗教団体の中では、団結してお互いの利益を追求しているだけだと思います。

いざとなると自分の利益を主張するなら、信者であっても普通の人と異なりません。
宗教のよさが生きていません。

信者が宗教を信じ、さらに広めようとするのは、神のためではなく、宗教団体のため、ひいては自分のためということになります。

この問題はすべての宗教信者について言えると思います。

|

« 晩夏の富士山 | トップページ | 宗教団体の限界 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 信者は自分の利益を追求していないか:

« 晩夏の富士山 | トップページ | 宗教団体の限界 »