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2006.11.28

自我否定の矛盾

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宗教的あるいは道徳的な人の中に自我を捨てよとか、私は自我を捨てたと言う人がいます。
しかし自我を捨てた人はいるでしょうか。

自我を捨てる主体は何かと考えてみるといいと思います。
それは自我です。
つまり自我が自我を捨てたと言っている訳でから実は自我は存在しています。
矛盾です。

矛盾と批判されると彼らは面白いことを言います。
「私が言ったのではない、神が言われた」などと言います。

仮に神が言ったとしても、神が言ったと思ったのは自我です。
そして神が言ったと言ったのは自我です。

もっと面白いことを言う人がいます。
「私は自我ではなく、神である。」
真実なら矛盾ありません。

ところが彼らは普通の人と全然変わらない生活をしています。
変わっているのは口で「私は神である」と言うことだけです。

確かに自我は神であるという思想はあります。
しかしこの場合は自我を神と言っている訳ですから自我を捨てたことになりません。

自我を捨てることが不可能なら、自我を肯定し、自我のあり方を考えた方がいいと思います。

私は自我は人の命(Human Life)の次に重要なものだと思います。
人生とは人の命と自我の二人三脚だと思います。

(注)ここで人の命とは、精神本体、つまり精神全体から自我を引いた基本的精神、原始的精神、原精神のことを言います。
自我未発達の時代に人に作動していた精神と考えるとわかりやすいと思います。
人は、数千万年、数億年、もしかすると数十億年かけてウイルスのような状態から人に進化してきたと考えられます。
精神本体も気が遠くなるような長年月をかけて発達してきました。

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2006.11.25

最大の問題は政府の建て直し

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実質破綻している政府が、教育基本法を変えること、防衛庁を省にすることに全力投入すると言います。
問題認識が間違っているのではないかと思います。

経済成長が続いているから税収増が望めると言って節約に消極的になっていますが、現在も借金残高が増えつつあります。
つまり現在の経済成長では借金問題は解決できません。
その経済成長もすでにかげりが見えています。
このままでは政府は本当に破綻します。

政府が破綻すると教育制度も防衛も崩壊します。
教育基本法を変えても防衛庁を省にしても何の意味もありません。

年金制度も健康保険制度も介護保険制度も崩壊します。
その上間違いなく貨幣価値が大幅に下がります。
つまり預貯金の実質価値が大幅に下がります。
私達は、個人で生き残る方法を考えなければならない状態になります。

最大の問題は政府の建て直しであると私達がしっかり認識していないから政府は枝葉の問題に全力投入してしまうのではないでしょうか。
来年の参院選は、政府の合理化に真剣な政党に投票する必要があると思います。
年々所得と預貯金残高が減っている私達に、実質破綻した政府にお金を貸し続ける力はすでにないはずです。

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2006.11.22

アメリカと北朝鮮政府の相互譲歩が鍵

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北朝鮮政府は、キムジョンイル総書記の指導の下に人々が大きな成果を収め、北朝鮮は大国になる突破口を開いたと言います。
しかし世界は全然そう思っていません。
政治が悪いため人々が生活に苦しむ世界で最も貧しい自由のない国と思っています。
北朝鮮政府の最大の問題点は現実認識ができていないことです。

北朝鮮政府は、昔から朝鮮半島の非核化のために努力し、アメリカの戦争の脅威から国を守るため国防力を強化してきたと言います。
確かにアメリカは北朝鮮政府を潰したいと考えてきたので北朝鮮政府が防衛に注力したのはわかります。
しかし非核化のために努力してきたと言う政府が核兵器を保有したと喜んでいるようでは矛盾です。

国連安保理が北朝鮮政府の核兵器開発と保有を阻止するため関連する交流を禁止したのは、世界が北朝鮮政府の言い分を認めていない証拠です。
核兵器開発関連の交流禁止措置は、どうしても普通の交流も押さえます。
普通の貿易も北朝鮮に対する外国からの投資も抑制されます。

世界から孤立することによって北朝鮮では病死者、餓死者が百万人のオーダーで増えるとの予測が流れています。
これが文化が発達した現代のお話しかと悲しくなります。
私達も人命を軽視しており、心穏やかではありません。

アメリカから北朝鮮政府の存続を認めるとの提案が出ているのを潮時に、北朝鮮政府は、核兵器を捨て、経済重視に政治を転換すべきです。
韓国は、朝鮮半島の統一はどうなると心配していますが、統一を急げば戦争になることは必定ですから、時間をかけて交流を拡大していき、国境の自然崩壊を待つのが賢明です。

日本も交流を拡大させながら拉致問題を解決するのが現実的です。
戦争回避が先です。
安倍総理は制裁強化で解決すると主張しますが、反対だと思います。

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2006.11.19

精神本体と自我の役割分担

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月夜見山から見た奥多摩の山並み

精神として通常私達が認識できるのは自我です。
感じたり、学んだり、考えたり、行なったりする主体です。

しかし人が生きるのに機能している精神が自我だけでないことは何人も否定しないでしょう。
自我よりはるかに強大な精神が働いて人を生かしていることを感じるでしょう。
私はこれを精神本体と呼んでいます。

精神を地球にたとえるならば、自我は表層の薄い地殻だと思います。
そして精神本体は地殻の下の厚い地球の内部だと思います。

私達は地殻についてはかなりの知識を持っていますが、地殻の下となるとほとんど知りません。
同じように、私達は自我についてある程度の知識を持っていますが、精神本体についてはほとんど知りません。

ウイルスのような状態の時から数えるならば、人類の歴史は、数千万年、数億年、あるいは数十億年かもしれません。
数千万年としても人類は気が遠くなるような年月を生き、経験してきたと言えます。
その間人類はいろいろなことを経験し、知識として蓄えてきたと思います。
この知識は、自我が生後学んだり、考えたりして得る知識と比べれば、比較にないならない膨大な知識でしょう。
私達がこの知識を先祖から受け継いでいることは明らかです。

それではこの先天的知識はどこに蓄えられているでしょうか。
DNA、細胞、組織、そして生きている体全体が記憶に関係しているかもしれません。
さらには体の周りの環境が記憶に関係しているかもしれません。
つまり周りの環境があって記憶が再現するような仕組みになっているかもしれません。

この先天的知識を引き出し、生きることに役立たせているのが精神本体であると考えられます。

自我が、生きている体に実現しているように、精神本体も生きている体に実現しています。
自我にしても精神本体にしても、精神は、化学的物理的生物学的有機物であるDNA、細胞、組織、体などと違って形がありません。
神経系は、精神実現に深い関係がありますが、精神ではありません。
精神は生きている体に実現している生命機能です。

精神本体と自我は緊密な関係にあり、相互に影響しあっていると思います。
しかし、何故か、自我は、精神本体が引き出しえた先天的知識を、自我が理解できる形で引き出すことができません。

どうも役割分担があって、自我は精神本体が持っている知識を無理に知る必要がないのかもしれません。
つまり、精神本体は、先天的知識を自分で管理し、活用し、人が生きるのに役立たせているようです。
人が生きるためには精神本体の安定が重要ですから、不安定な自我に支配されないようにしているのかもしれません。

自我に向かって精神本体は、無理に先天的知識を知る必要はない、精神本体は精神本体で人が生きるように活動している、また自我を助けている、だから精神本体を信じて、自我は自分がやるべき仕事をやって人が生きることに役立てと言っているような感じがします。

私は精神本体こそ人の命と思いますので、これを「人の命」(Human Life)と呼んでいます。
そして人生とは、人の命と自我の二人三脚と思っています。

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2006.11.16

神とは人の命、人の命とは神

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神については神の信者でない人も関心を持っている人が多いと思います。
無神論者でもときどき自分のことを神ならぬ身などと言います。
無限の神、有限の自分という認識があるのでしょう。

しかし無限の神と認識されている割には神は無限ではありません。
たとえば、もし神が、人は人を殺してはならないと考えているならば、神が、人を、人殺しをしないようにすればいい訳です。
しかし現実はそうなっていません。
したがって無限の能力を持つ神は存在しないか、神は、人は人を殺してはならないと考えていないか、どちらかです。

それでは、人は人を殺してはならないという法は誰が定めた法でしょうか。
人です。

生きている人は、生きることが目的です。
この目的は自分も他人も同じです。
したがって人は人を殺してはならないのだと思います。
自分も人ですから自殺もいけないのだと思います。

つまり神の有無関係なく人は人を殺してはいけないのだと思います。
もっとはっきり言いますと、神より、人を殺してはならないという法の方が人にとって重要なのだと思います。

したがって人を殺してはいけないという教えが無限の神の教えと信じている人は、神とは人の命である、人の命が神であると考え直すと、矛盾がなくなると思います。

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2006.11.13

政府の教育基本法改正案の問題点

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06年11月5日の月

政府の教育基本法改正案で一番反対が多い条項は第2条(教育の目標)第5項でしょう。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」

まだわかりにくいと思いますので、さらに問題部分だけを書き出します。
「伝統と文化を・・・はぐくんできた我が国・・・を愛する・・・。」

これが政府が考える愛国心です。
つまり、愛すべき我が国とは、伝統と文化をはぐくんできた我が国であると規定していることです。
一見問題ないように見えますが、問題は、伝統と文化とは何かということです。

武士道(道徳、忠誠、信義、質素、倹約、礼節、名誉、武勇など)、天皇、日の丸君が代、靖国神社、忠君愛国、・・・。
概して自民党の国会議員の考えは復古的です。
文科省はこの自民党の考えの影響を受けています。

伝統と文化を政府がどう考えるかで教育内容が左右されます。
つまり戦前の伝統と文化を重視する教育になる恐れがあります。

すでに文部科学省は日の丸君が代を公立学校に強制するようになりました。
今後ますます政府は、政府のためになる教育をして何が悪いという態度を示すでしょう。
教育に関心ある人々が心配して改正に反対するのは当然のことです。

改正案第2条第5項の問題部は、同じ条項の中のほかの文とも前文やほかの条項とも矛盾し、違和感を感じます。
なぜ変かと言いますと、自民党が全力でこの文を無理に挿入したからです。
全体の整合性が失われてしまいました。

必要があれば伝統と文化を否定してでも日本を改善する未来志向の愛国心が望ましいのですが、この法案ではこのような進歩的愛国心は否定されています。

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2006.11.10

真の敵は自分自身の中にあり

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岩手県南部の厳美渓 石英安山岩の台地を川が浸食してできた渓谷です。

アメリカは、軍事力で世界を支配すると考え、テロリストを生んで、テロに勝つと言って本当に戦争して、またテロリストを生んで、テロに勝てないと言って苦悩している国だと思います。

軍事力で威張る国には必ず挑戦する武装組織が誕生します。
つまりアメリカは、勝つことに情熱を燃やす人にとって最高の目標です。

今回の中間選挙で民主党が勝ちましたが、民主党は、戦争について考えを修正しても、軍事力で世界を支配するという考えは捨てないと思います。
アメリカの真の敵は、テロリストではなく、アメリカ自身の、この軍事力依存体質にあると思います。

人間の勝負好きは否定できません。
とすると、重要なことはすべての勝負を、人命を軽視してはならないという法(スポーツで言うならルール)の下に置くことだと思います。
軍事力依存体質の国はこの知恵にいまだ到達していません。

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2006.11.07

戦争には協力しない

159
平泉の毛越寺(もうつうじ)の庭園

アメリカのイラク戦争は大義があると言って協力したり、犯罪者とそうでない人を区別しないで北朝鮮を経済制裁したり、次第に日本は戦争に肯定的になってきました。

世代が代わると考え方も変わると痛感します。
新しい世代は新しい世代で自分で失敗をしながら政治のあり方を学ぶのでしょう。
しかし失敗を繰り返すことは馬鹿げたことです。

とは言え、先輩から、あるいは歴史から政治のあり方を学ぶことは非常にむずかしいのでしょう。

私は戦争は犯罪であると思います。
戦争は法に基づく行為ではありません。
強すぎる欲望、思い上がり、あるいは怒りの感情が支配する暴力です。
正義の戦争はありえません。

私は人命重視を政治の基本にすえていきたいと思います。
軍事力が強くても人々が生活に苦しんでいるようでは意味がありません。
(北朝鮮の政治は異常。)
戦争で人々が死ぬ国は文化が遅れています。
(アメリカは文化が遅れている。)

日本は、今後も民需産業に注力し、外国が戦争の不安を感じない民需産業の国であってほしいと思います。
したがって戦争には協力しません。

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2006.11.04

学校教育

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岩手県南部の厳美渓 渓谷の川下、渓谷の終わる部分の穏やかな情景です。

必修科目を教えていなかった普通高校が約10%あることがわかりました。
実際はもっと多くて、25%ぐらいではないかとの説もあります。
日の丸君が代だけでなく、教科についても文部科学省と学校に考えのずれがあるようです。

私は普通高校を卒業しました。
いわゆる受験校で、毎年大勢の人が大学に入学しました。
この高校は、今問題になっている、必修科目を教えないということはありませんでした。

しかし、2年生から、3年生と一緒に模擬試験を受ける仕組みがありました。
各科目の点と総合点について、2年生、3年生を一緒にした順位が廊下に掲示されました。
つまり2年生から受験競争下に置かれた訳です。
総合点で2年生から上位10位以内に食い込む人がいてすごい高校だと思いました。

ところが私は3年生前半まで受験競争をそれほど意識しませんでした。
思春期の高校生がよく陥る憂鬱に私も陥っていました。
高校で学ぶ目的を見失い学問に力が入りませんでした。
訳もわからず深刻ぶって考えてばかりいました。

したがって模擬試験の総合順位はひどいものでした。
成績は科目によって非常にむらがありました。
好きな化学は2年生から毎回100点を取りました。
数学は中学では好きだったのに高校では嫌いになってしまい、恥ずかしい成績でした。
英語に至っては最低でした。

これでは大学に入れないと思い、3年生の後半はまじめに受験勉強をやりました。
4当5落と言われていましたが、私は睡眠時間は5時間ぐらいでした。
学校から帰ると、ひたすら受験問題集を解き続けました。
あれこれ考えることはやめ、馬鹿のように問題集を解き捨てていきました。
おかげで浪人せず大学は無事入学しました。
この受験勉強はいわゆる一夜漬けであったと思います。

この高校は今でも全国屈指の受験校であることを誇りにしています。
大学に入学できたのだから私は感謝すべきかもしれません。
しかし物足りないものを感じます。
人生の師に会わなかったからです。

とは言え、高校生の個性に応じた学校教育は非常にむずかしいことです。
大学受験という目標は高校生にとってわかりやすいと思います。
親もいい大学に入学させれば就職は何とかなると思うでしょう。
普通高校が大学受験に教育目標を設定する気持ちはよくわかります。

したがって大学の入学試験内容を高校生の将来に役立つようなものにし、もって普通高校の教育の改善をはかることは現実的方策と思います。
普通高校が、受験校としてではなく普通高校として教えるべきことを教えれば生徒はおのずと大学に入れるというのが望ましい姿です。
不合格にするための必要以上にむずかしい大学の入学試験内容が高校教育を駄目にしているということはないでしょうか。

なお、やさしい問題も解けない高校生が増えているという問題は、学校の責任だけでなく、家庭にも大きな責任があると思います。
現代の家庭は、親は、家庭では教育をせず、家庭の仕事もさせず、遊んでいいような雰囲気の中に子供を置いています。
これでは子供は学問の目的を見失い、学校でも遊ぶようになります。

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2006.11.01

発掘が進む平泉

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中尊寺参道

10月26日平泉散策に行きました。
中尊寺から始めて達谷窟(たっこくのいわや)で終わる予定でした。
ところが見所いっぱいで、中尊寺、高館、平泉館跡、無量光院跡、観自在王院庭園、毛越寺(もうつうじ)とへめぐりましたが、毛越寺で晩になり、達谷窟には行けませんでした。
そこで達谷窟は27日に改めて行きました。

現在の平泉を見てもなかなか12世紀の平泉を想像することはむずかしいと思います。
藤原氏滅亡と共に壮大な寺院群が消え、水田と化したからです。
12世紀の平泉は、藤原氏の町ではあったが、人々の町ではなかったのでしょう。

今遺跡群の発掘が行なわれています。
この遺跡群が広大ですから、町の人々は、私の水田はどうなる、私の住むところはどうなると、ちょっと戸惑っているでしょう。

中尊寺は9世紀に創建された天台宗の山寺ですから、藤原氏の滅亡と関係なく残りました。
昔から奥州の人々の信仰を集めていたのでしょう。
12世紀に藤原氏によって建立された金色堂は、修復を受けながら今日に残りました。
人々は金色堂を大切にしてきました。
また比較的小さいお堂でしたから保存もしやすかったのでしょう。

しかしこの金色堂があるがゆえに、中尊寺は観光地化しすぎました。
寺域内にお土産店が並び、店の売り子が、「この店は住職の家に近いからお土産はご利益があるよ」などとと声を張り上げているような天台宗のお寺はほかにはないでしょう。
現代風と割り切ればいいのかもしれませんが、私は中尊寺らしくないと思いました。

平泉が落ち着きを取り戻すのはかなり先のことでしょう。
人々が、金色堂はすごいと言うだけでなく、平泉全体を、またその過去と現代を思う時が来るといいと思います。

ついでですが、秀衡塗り(漆塗り)の食器で食べるわんこそばを食べたいと思いましたが、量が三人前と聞いて、老人の私は(藤原)三代そばで我慢しました。
そばもつゆもおいしいですね。

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