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2006.11.01

発掘が進む平泉

158
中尊寺参道

10月26日平泉散策に行きました。
中尊寺から始めて達谷窟(たっこくのいわや)で終わる予定でした。
ところが見所いっぱいで、中尊寺、高館、平泉館跡、無量光院跡、観自在王院庭園、毛越寺(もうつうじ)とへめぐりましたが、毛越寺で晩になり、達谷窟には行けませんでした。
そこで達谷窟は27日に改めて行きました。

現在の平泉を見てもなかなか12世紀の平泉を想像することはむずかしいと思います。
藤原氏滅亡と共に壮大な寺院群が消え、水田と化したからです。
12世紀の平泉は、藤原氏の町ではあったが、人々の町ではなかったのでしょう。

今遺跡群の発掘が行なわれています。
この遺跡群が広大ですから、町の人々は、私の水田はどうなる、私の住むところはどうなると、ちょっと戸惑っているでしょう。

中尊寺は9世紀に創建された天台宗の山寺ですから、藤原氏の滅亡と関係なく残りました。
昔から奥州の人々の信仰を集めていたのでしょう。
12世紀に藤原氏によって建立された金色堂は、修復を受けながら今日に残りました。
人々は金色堂を大切にしてきました。
また比較的小さいお堂でしたから保存もしやすかったのでしょう。

しかしこの金色堂があるがゆえに、中尊寺は観光地化しすぎました。
寺域内にお土産店が並び、店の売り子が、「この店は住職の家に近いからお土産はご利益があるよ」などとと声を張り上げているような天台宗のお寺はほかにはないでしょう。
現代風と割り切ればいいのかもしれませんが、私は中尊寺らしくないと思いました。

平泉が落ち着きを取り戻すのはかなり先のことでしょう。
人々が、金色堂はすごいと言うだけでなく、平泉全体を、またその過去と現代を思う時が来るといいと思います。

ついでですが、秀衡塗り(漆塗り)の食器で食べるわんこそばを食べたいと思いましたが、量が三人前と聞いて、老人の私は(藤原)三代そばで我慢しました。
そばもつゆもおいしいですね。

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