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2006.11.19

精神本体と自我の役割分担

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月夜見山から見た奥多摩の山並み

精神として通常私達が認識できるのは自我です。
感じたり、学んだり、考えたり、行なったりする主体です。

しかし人が生きるのに機能している精神が自我だけでないことは何人も否定しないでしょう。
自我よりはるかに強大な精神が働いて人を生かしていることを感じるでしょう。
私はこれを精神本体と呼んでいます。

精神を地球にたとえるならば、自我は表層の薄い地殻だと思います。
そして精神本体は地殻の下の厚い地球の内部だと思います。

私達は地殻についてはかなりの知識を持っていますが、地殻の下となるとほとんど知りません。
同じように、私達は自我についてある程度の知識を持っていますが、精神本体についてはほとんど知りません。

ウイルスのような状態の時から数えるならば、人類の歴史は、数千万年、数億年、あるいは数十億年かもしれません。
数千万年としても人類は気が遠くなるような年月を生き、経験してきたと言えます。
その間人類はいろいろなことを経験し、知識として蓄えてきたと思います。
この知識は、自我が生後学んだり、考えたりして得る知識と比べれば、比較にないならない膨大な知識でしょう。
私達がこの知識を先祖から受け継いでいることは明らかです。

それではこの先天的知識はどこに蓄えられているでしょうか。
DNA、細胞、組織、そして生きている体全体が記憶に関係しているかもしれません。
さらには体の周りの環境が記憶に関係しているかもしれません。
つまり周りの環境があって記憶が再現するような仕組みになっているかもしれません。

この先天的知識を引き出し、生きることに役立たせているのが精神本体であると考えられます。

自我が、生きている体に実現しているように、精神本体も生きている体に実現しています。
自我にしても精神本体にしても、精神は、化学的物理的生物学的有機物であるDNA、細胞、組織、体などと違って形がありません。
神経系は、精神実現に深い関係がありますが、精神ではありません。
精神は生きている体に実現している生命機能です。

精神本体と自我は緊密な関係にあり、相互に影響しあっていると思います。
しかし、何故か、自我は、精神本体が引き出しえた先天的知識を、自我が理解できる形で引き出すことができません。

どうも役割分担があって、自我は精神本体が持っている知識を無理に知る必要がないのかもしれません。
つまり、精神本体は、先天的知識を自分で管理し、活用し、人が生きるのに役立たせているようです。
人が生きるためには精神本体の安定が重要ですから、不安定な自我に支配されないようにしているのかもしれません。

自我に向かって精神本体は、無理に先天的知識を知る必要はない、精神本体は精神本体で人が生きるように活動している、また自我を助けている、だから精神本体を信じて、自我は自分がやるべき仕事をやって人が生きることに役立てと言っているような感じがします。

私は精神本体こそ人の命と思いますので、これを「人の命」(Human Life)と呼んでいます。
そして人生とは、人の命と自我の二人三脚と思っています。

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