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2006.12.31

人の命

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沖縄識名園

人類の文化水準は着実に向上していると思いますが、まだまだ人命軽視の心は猛威を振るっていると思います。
自分は正しいと思っている人でも人命を軽視している人は多いと思います。

いじめ、人殺し、制裁、戦争、日本ではクリスマス処刑(死刑)、世界では殺すためのサダム・フセインの裁判と処刑で2006年を締めくくってしまいました。

実は人間の行動が問題ではなく、心が問題です。
枝葉が問題ではなく、根幹が問題です。

この簡単な原理がわかっていないため、あるいは知りたくないため、人殺しを防止するため人殺しをし、戦争を防止するため戦争をすると言った愚かな行動を人類は繰り返しています。

心と行動の関係を研究するということは、自分の心のみにくさを知ることになるかもしれません。
だからと言って行動を行動で解決しようとしていてもそれは賽の河原(無駄な努力)です。

隣人はどうであれ、日本はどうであれ、隣国はどうであれ、世界はどうであれ、まずは自分の心のみにくさを知ることが第一と言うことでしょう。
自分は、本当に自分の命、他人の命を大切にしているかと考えることが大切と言うことでしょう。
そして人命重視を決心することでしょう。

それではまた来年もよろしくお願い申し上げます。

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2006.12.28

生徒は押入れではない

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歳末ということで押入れの中の整理を行ないました。
押入れとはよく言ったもので繊維製品などがぎっしりと押し入れてありました。
すると床が部分的に白くなっていました。
黴です。

ふと思いました。
学校教育ですが、生徒(押入れ)に知識(繊維製品)をぎゅうぎゅう押し入れても、悪い考え(黴)が生じるだけで、知識(繊維製品)は使われないのではないでしょうか。

生活するとか、仕事をするとか、遊ぶとか、生徒は生徒のレベルで現場を経験したり、大人の活動を見たりしながら、学び、考える教育が重要ではないでしょうか。
通学し、教室の中で知識だけが押し入れられている現代の教育に大きな疑問を感じます。

文部科学省は、復古的なことばかり言っていないで、真実とは何か、生きるのに必要な学問とは何か、そのような学問ができているか、現代と予測される未来の問題をよく考えながら教育を考えるといいと思います。
文部科学省が指導すると考える前に、一番遅れているのは文部科学省ではないかと反省してみてはどうでしょうか。

親は、自分の人生の失敗も成功も取り混ぜて子供と人生について語り合うといいと思います。
教育の第一責任は親にあります。
教育は学校任せにしていいことではありません。

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2006.12.25

根幹の問題に取り組んだ方がいい

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奥多摩 渓谷には無数の小滝があります。

国は政府が実質財政破綻、会社は中小が不調、学校は先生が教育意欲低下、生徒が学習意欲低下、家庭は家族関係が悪化、個人は貧困に苦しむ人が増加、犯罪が増加、・・・。
社会のどの面を見ても今は問題が非常に多くなっています。

政府は、戦後の法律が悪いとし、教育基本法を伝統と文化を尊重するものに変え、防衛庁を省にし、次には憲法を国外で戦争できるようなものに変えたいと言います。

しかしこれらの変更が現在の深刻な問題とどのような関係があるのかわかりません。
多くの人々が政府の問題認識は変だと感じていると思います。

たとえば政府の財政破綻は非常に大きな問題です。
混乱が始まれば、健康保険制度も年金制度も崩壊し、病気や貧困に苦しむ人が非常に多くなるでしょう。
教育、防衛組織の位置、憲法の変更でこの問題を解決できるでしょうか。

できません。
法律が悪いのではなく、政府自身の放漫政治に問題があるからです。
問題認識が変なまま惰性で予算をいろいろな省庁につけているからです。
至るところで無駄金が使われているのに予算実行の結果を吟味していません。
お金を使えば何かしたと思い込んでいます。

過激な言い方になりますが、政府の予算を半分にするぐらいの目標で合理化をやるといいと思います。
その最初の合理化として国会議員を半分にすることを実行してみてはどうでしょうか。
支持団体の利益代表で、国会図書館に行って政治について研究したことがないような議員に政府が給料を払っていてもしょうがないと思います。

その次に国家公務員を半分にするといいと思います。
労働人口減少が深刻だと言うなら、半分は民需産業に回した方がいいと思います。

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2006.12.22

言行不一致内閣

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奥多摩

教育基本法は復古的なものに変える、防衛庁は省にする、安倍晋三総理はなかなかやるなと思いましたが、美意識や規範意識はゼロに近いことがわかり言行不一致の人であることがわかりました。
これなら実際は復古的教育も行なわないでしょうし、防衛省が戦争することもないでしょう。

問題は総理が安倍氏から別の人に代わった時です。
新総理が法律や制度にただ忠実な人であったら、変えた法律や制度に基づいて何をやるかわかりません。

安倍氏は次は憲法を変えたいと言っています。
折から日本は老人社会になります。

老人である私は戦争に行きませんし、協力しません。
私と同様老人である方々、これから老人になる方々はどうしますか。

若い方々は、民需産業に注力しなければ、家族はもちろん、自分の生活水準も下がるでしょう。
それでも戦争に行きますか、協力しますか。

私なら民需産業に注力し、戦争ではなく、隣国や世界と仲良く生活することを考えますが。
憲法には戦争しない条文をちゃんと残しておきますが。
日本を戦争できる国にしませんが。

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2006.12.19

自由な生き方

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奥多摩

生きるのによいことはやる。
だからよいと思ったら他人がやっていなくてもやる。
反対に、生きるのに悪いことはやらない。
だから悪いと思ったら他人がやっていてもやらない。

これが自由な生き方だと思います。
善悪は相対的にやるやらないの問題ではないと思います。

タバコを例にするとわかりやすいと思います。
健康に悪いと思ったらすわなければいい訳です。
悪いと思いながらすっているとか、他人がすっているので自分もすっている人は不自由です。

朝鮮半島の非核化が目的と言いながら、アメリカが核兵器を持っているから持つと言う北朝鮮政府は不自由な政府です。

核兵器を悪いと言いながら、北朝鮮政府が核兵器の実験をやったら、日本も核兵器を保有すべきなどと言う人は自由とは何か知らないのでしょう。
核兵器が悪いと思ったら北朝鮮政府が持っていても平然と核兵器を持たなければいい訳です。

日本は自由と言うならこれくらいの不動心は持っていたいものです。

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2006.12.17

冬枯れの奥多摩

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奥多摩

森林ボランティア活動で16日、17日奥多摩の山深い所に入りました。
16日はヤマザクラの苗床への種まきと昨年まいて成長した実生をポットにとる作業を行ないました。

17日は奥多摩を散策しました。
紅葉が終わり、落葉樹は枝幹だけの木となって山はやや紫色を帯びた白っぽい色となり、幻想的でした。

遠い山の中から犬の鳴き声がしました。
鹿を追っているのでしょう。
鹿はうまく逃げおおせたのでしょう。

奥多摩では鹿の害が問題になっています。
しかしこの季節、銃声がしませんと何か山の平和が保たれたような気持ちになり、ほっとします。

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2006.12.13

日本に漂ういじめの雰囲気

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今学校におけるいじめが大問題になっています。
いじめる人はいる。
これが現実です。
したがっていじめられたぐらいで自殺するなという教えはそれはそれで大切と思います。

一方で社会や学校や家庭にいじめる雰囲気があるといじめる人が増える現実があります。
このいじめる雰囲気を問題にすることが重要です。

校長や教育長が、いじめはなかったといじめを隠しているようではいじめる雰囲気を除去することはできません。
このような校長や教育長はすぐ更迭した方がいいと思います。
いい年をしてしかも重要な地位にあって教育の基本を知らないような人は注意したぐらいでは直りません。
教育をよく考える人にすぐ変えるのが一番と思います。

ところで現在の日本の北朝鮮に対する制裁を見ていると、拉致や核兵器開発と関係ない一般の人々まで制裁しています。
北朝鮮は民主主義国ではありません。
人々に罪ありとするのは早計です。
犯罪者とそうでない人を区別しない日本の制裁で北朝鮮の人々は反日感情を強めるでしょう。

したがってこの制裁の本質はいじめの本質と似ていると思います。
強い方(日本)が威張って弱い方(北朝鮮)をいじめています。
その行動は理性的ではなく感情的です。

このような日本に漂ういじめの雰囲気が、学校におけるいじめと無関係ということはないと思います。

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2006.12.10

戦争後のことを予測しているか

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横浜 舞岡公園

私は、日本人の命を守るために戦争すると言う人を信用しません。
明治、大正、昭和の日本の戦争を研究すれば、このようなことを言う人が皆うそつきであることは明白だからです。
日本軍人は己の欲望のために戦争したし、軍人以外の日本人は自分の欲望のために戦争を支持しました。
確かに軍人になるのが嫌なのに命令で軍人にさせられたり、非難されるのが怖くて戦争を支持した人がいました。
しかし総合的に見れば、日本は己の欲望のために戦争を肯定していたと思います。

これは別に驚くべきことではありません。
人が誰でも自分のことを考えるのは当然であるからです。

先祖に欠けていた視点は、戦争して将来どうなるかという予測であったと思います。
戦争した結果自分はどうなるかという知識を欠いていたことだと思います。

それでは現代人の私達はどうでしょうか。
一人の日本人の命をも粗末にしないと言いながら外国人の命を軽視する人がどうして日本人の命を重視するでしょうか。
格好いいことを言いますが口先だけです。

人命を重視する人は日本人の命も外国人の命も重視します。
自分の命も重視します。

人命を軽視する人は日本人の命も外国人の命も軽視します。
自分の命も軽視します。

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2006.12.07

すべて変わる

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テロに勝つと叫んだブッシュアメリカ大統領を歓呼しイラク戦争を支持したアメリカの人々は、今ではイラク戦争反対だそうです。
変わらないと思ってもすべての物事が変わるとつくづく思います。
変わるなと言っても変わります。

とすると、今絶望状態にある人は次は絶望状態でなくなることになります。
どれぐらいの時間で変わるかわかりませんが、変わることは確実です。

だから今生きている人は、絶望して死に急ぐことがあってはならないと思います。

たとえば、いじめられている状態が永遠に続くなどということは決してありません。
反対に、望ましいことではありませんが、大きく変化して、将来は自分がいじめる人になるかもしれません。

すべては変わると思って、絶望状態にある人は、希望をもって生きてほしいと思います。

ところで、生きている人は死にます。
最近放送番組で長寿に関するものが人気ですが、長生きの方法については苦労した割には長生きしないものです。
つまり死なない思っても死にます。
すべてが変わるからです。
そこで死の問題については死ぬまで生き生きと生きると考えると気分が楽になります。

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2006.12.04

戦争は犯罪という認識が乏しい政府

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横浜 紅葉の舞岡公園

12月1日、神戸地裁は、帰国した中国残留孤児を軽視しすぎたと政府を批判し、政府に賠償を命じました。
目頭が熱くなりました。
政府に胡麻をする裁判官が多い中、ときどき人命重視の名判決を出す勇気ある裁判官が登場するので本当に嬉しくなります。

裁判を起こされ、判決が出ないと具体的な対策を講じない政府とはいったい何なのかといつも思います。

政府は日本の戦争被害者に対して冷たい態度をとってきました。
まして外国の被害者に対しては賠償したくないという態度でした。
この政府の人命軽視の態度が今日においても中国残留孤児や外国の戦争被害者から裁判を起こされる原因になっています。
戦争は犯罪という認識が乏しいからです。

現在日本は戦争肯定論が強くなりつつあります。
戦争以外の方法で安全を考える工夫と努力がどんどん弱くなっています。
政府を制御するのは私達という考えをしっかり持っていないと再び私達は戦争被害者になるでしょう。

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2006.12.01

外国人の命も人の命

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北朝鮮政府の核兵器実験で一気に東アジアの緊張が高まりましたが、アメリカ政府の大幅譲歩で、アメリカが北朝鮮戦争を起こす確率は小さくなりました。
アメリカの中間選挙で民主党が勝ち、ブッシュアメリカ大統領の戦争重視が終わりを迎えたということでしょう。

彼の大統領の任期はまだ2年もあります。
アフガニスタン戦争、イラク戦争をどのように終えるか、現地にアメリカ軍が駐留していますから大変です。
彼は駐留を続けると言っていますが、そう言っている間にもアメリカ軍人が死んでいきます。
戦争に勝てる見通しはありません。
最近の彼は、新政府が悪いという言い方をするようになりました。
これでは親アメリカの新政府もアメリカから離れていくでしょう。

彼は厳しくイラン、シリアを非難してきましたが、最早、イラン、シリアに対して戦争することは不可能です。
戦争で反アメリカの政府を滅ぼし、西アジアに親アメリカの政府を増やしてアメリカやイスラエルの安全を確保する戦略は限界に来ました。

これからブッシュ氏は戦争犯罪者としてのイメージがどんどん濃くなっていくでしょう。
精神がぼろぼろになって大統領の座を去ることになるでしょう。
ブッシュ氏は、どうして自分が戦争に息せき切ってしまったのかと苦悩しているでしょう。

それではブッシュ氏の戦争を歓呼して迎えたアメリカの人々の心はいったい何だったのでしょうか。
彼らは戦争についてしっかりした思考力がないまま、感情的になり、攻撃的になりました。
アメリカ人の命は重視するが、外国人の命は軽視する恥ずかしいアメリカをまた世界に見せてしまいました。

アメリカの人々が徐々に冷静になり、アメリカの不法と限界を知り始めたことはよかったと思います。

今私が心配していることは、安倍総理を歓呼して迎え、北朝鮮に対し制裁、制裁と叫んでいる日本です。
2001年頃のアメリカとよく似ていると思います。
日本がやっている制裁は、国連安保理が決議した制裁とは違い、感情的で戦争の一歩手前です。

戦争はするな、戦争はしないという理性を失うなと祈るのみです。

(注)国連安保理の制裁決議は、核兵器の開発と拡散を防止する措置です。民生に制裁を加えるものではありません。

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