現実を仮想世界と錯覚
映画館で映画を見た後は、大勢の人と一緒にぞろぞろ外へ歩いたり、大勢の人が歩いている騒がしい町に出ますからすぐ現実に引き戻されます。
ところが自分の部屋で一人でビデオを見ると、仮想が続き、なかなか仮想世界から脱出できません。
孤独な人で自分の部屋に引きこもりビデオや本に耽溺する傾向がある人は、仮想世界慣れし、現実世界まで仮想世界と錯覚しやすいということがあると思います。
つまり現実が見えにくくなることがあると思います。
仮想世界と現実世界との境界が曖昧になり、現実が見えなくなると、やりたいと思ったことを仮想世界でやるのと同じ感覚で現実世界でやってしまうことがあると思います。
ところで宗教の世界はある種の仮想世界だと思います。
したがって熱心な信者ほど仮想世界慣れしており、現実世界まで仮想世界と錯覚しやすい状態にあると思います。
宗教の教えがよい教えならば信者は現実世界を仮想世界と錯覚していても特に大きな問題を起こしません。
ところが殺人を正当化するような教えの場合は、大問題を起こします。
オウム真理教の教祖や幹部が殺人を犯したのはその例だと思います。
仮想世界を楽しんでいる時、理性的に仮想を仮想と思っているようでは、映画でも読書でも宗教でも面白くありません。
仮想を現実と思うくらい没入すると面白い訳です。
しかし仮想から脱出する方法を失いますと悲喜劇を生むと思います。
ところが脱出しにくいという現実問題がありますから、犯罪に誘導されやすい仮想には近づかないことが大切と思います。
よい映画、よい本、よい宗教を選べというのはそういう意味だと思います。
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