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2008.02.13

軍人は嫌い

軍人についてよい思い出が一つもありません。

戦時中、父は徴兵され、どこかに行きましたが、腰部を負傷して帰ってきました。
負傷したためその後戦場に戻ることはなかったのですが、治療が大変でした。

1945年アメリカ軍の攻撃が激しくなり、町はアメリカ軍の空爆、機銃掃射、艦砲射撃を受けて廃墟になりました。
祖父の家は空爆で跡形もなく吹き飛んでしまいました。

攻撃のたびに防空壕に逃げましたが、もし防空壕の上に爆弾が落ちたら助かりませんでした。
防空壕で母は恐怖に怯えながら兄と私を抱いていました。
音はあまり覚えていないのですが、夜空いっぱいに広がった爆弾の爆発の閃光ははっきりと目に焼きついています。
町や町の周りの田んぼは爆弾で穴だらけでした。

B29というアメリカの爆撃機が低空飛行し、機銃掃射したときは、銃座のアメリカ軍人の顔が見えました。
この日登校中の多くの女子学生が機銃掃射で殺されたと父から聞きました。

父は鉄道で会社に通っていましたが、列車がよくアメリカのグラマンという戦闘機に攻撃され、父は列車の周りや下を逃げ回ったそうです。

私は私達のためにアメリカ軍と戦っている日本軍人を見たことがありません。
近くの高射砲が撃った砲弾がB29の周りで爆発し、白い煙を発したのは見ましたが、B29が撃墜されたのは見たことがありません。
私達はアメリカ軍から攻撃され、逃げ回っているだけでした。

戦後は父は職を失い、家族は貧乏で飢餓と病気に苦しみました。
子供の私は乞食のように食料や燃料を人からもらいました。
爆弾の破片、機関銃の薬きょうと弾、焼け釘、落ちている電線を拾ってお金に換えました。
父は遠い所に土地を借り、畑を開墾しましたが、そこへ荷車を引いて行くだけでも疲れたのに開墾や農業の手伝いで病気がちの私は死にそうでした。
生きるか死ぬかという状態は小学校卒業まで続きました。

日本の若い女性がパンパンガールになってアメリカ軍人を相手に売春していると聞くと、アメリカ軍人を嫌悪しました。
在日アメリカ軍基地などなければいいと思いました。

中学1年の時、自分の教室とは別の部屋で仲間と弁当を食べました。
すると一人の男の先生が入ってきて、私達を並んで立たせ、歯を食いしばれと言うなり、端(はじ)からびんた(軍隊の罰の一つで顔を平手打ちにすること)を食らわせていきました。
私はあまりの痛さに歯が折れたかと思いました。
別の部屋で弁当を食べたことのどこが悪いのか全然わかりませんでした。
後で、この先生は軍隊上がりで、すぐびんたを加える時代遅れと聞きました。

社会人になってからよく富士山に行きました。
アメリカ軍や自衛隊の戦車が山麓を走り回り、山林を荒地にし、さらに砲撃して山腹に穴を開けているのを見て激しい怒りを感じました。
霊峰富士に何をするのかと思いました。

近年は、横浜に住んでいるため低空飛行するアメリカ軍用機の空気をつんざくような轟音に悩まされています。

このような訳で私はからだで軍人を嫌っています。
アメリカ軍人であろうと日本軍人であろうと、軍人は、人殺し、破壊者と思います。
防災に出動したと聞くと、何か自衛隊がよく見えますが、本質はやはり人殺し、破壊者だと思います。

靖国神社参拝問題で、軍人に感謝の気持を込めて参拝したなどと言う大臣や国会議員の言葉を聞くと、何を馬鹿なことを言っているのかと思います。
私は何とか生き残りましたが、戦争で死んだ人や家族を失った人が軍人に感謝するなどということがあるでしょうか。

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