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2009.12.31

慣習は社会の知恵

09122226

しかし慣習は時代遅れになると無益さらには有害になる場合があります。

私は戦後教育を受けて育ったおかげか(せいか)戦前の多くの慣習に古臭さを感じました。
そこで意図的に変と思った慣習を捨てて生きてきました。
それで人間関係が悪くなったかというとそのようなことはありませんでした。
同じ戦後教育を受けて育った人々は私の言動にそれほど違和感を感じなかったようです。
私より年輩の方で私を見て怒った人もいたと思いますが、慣習無視については戦後は怒ると怒る方が悪いという雰囲気があったため怒れなかったでしょう。

たとえば私は仏教の慣習をほとんど捨てました。
お寺やお墓にお参りに行く、お布施をする、仏像を拝む、お墓をつくる、仏壇、仏具を買う、和尚さんを家に呼ぶなどの慣習を捨てました。

親戚、友人、知人のお葬式で和尚さんのお話しを聞く機会が多くありましたが、読経は意味不明でしたし、死後の世界に関する和尚さんの説話は虚偽だと思いました。
和尚さんは金銭欲が強いと思うことが度々でした。
そのため和尚さんから仏教を学びたいと思いませんでした。
仏教は経典の日本語訳を読んで勉強しました。

思い出のある亡き人については私は記憶している亡き人に話しかけます。
お墓や位牌には話しかけません。

私が死ぬと肉体はもちろんのこと、原精神(私は「人の命」と呼んでいます)も自我も消えると思います。
「人の命」や自我は生きている人に実現します。
私については、思い出のある人が記憶しているか、私のことを書いた資料が残るのみです。
人が亡くなり、資料が無くなれば私の痕跡は消えます。

人は死ぬまで生き生きと生きることが大事と思います。
死ぬまで自我は「人の命」と一緒ですから自我は何も淋しいことはありません。
死ねば自我は消えますから、「人の命」が消えても何の問題もありません。

「人の命」は生きている人すべてに働いており、その人を生かしています。
子孫であろうと他人であろうと生きている人には私に働いている「人の命」と同じ「人の命」が働いています。

生きている人にとって一番大事なことは生きていることであり、「人の命」であると思います。
だから人は人を生かすことを考えるべきです。
戦争、死刑、人殺し、自殺などは、生の否定であり、「人の命」の軽視であり、罪です。

私は来年70歳になります。
これまで「人の命」を信じて生きてきましたが、今後も生き生きと生きることができるでしょうか、人生まさに実験です。

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