1945年8月15日
今日は65年前、昭和天皇が戦争終結の詔書を放送した日です。
私は当時5歳でした。
父はラジオを手に入れようと努力したようですが手に入りませんでした。
父から日本は戦争に負けたと聞きました。
私の町は半分が廃墟になりました。
父の家は町の住宅密集地ではなく、町のはずれの台地の上にあったので幸運にも攻撃を受けず残りました。
家は残りましたが、父が勤めていた会社が倒産し、父が失職したので私の家族は食料不足に苦しみました。
父は畑を借りたり、開墾したりして農業をやりましたが、私は栄養失調で病気ばかりしていました。
小学校はよく休みました。
天井ばかり見ている生活から開放され久しぶりに外出できると外の広さ明るさが別世界のように感じられ新鮮でした。
父は魚とりが上手で、兄と私を連れてよく川に行きました。
やがて兄と私は二人だけで魚とりによく出かけました。
それでも蛋白質が不足で、鶏を飼って卵をとったり、料亭に魚のあらをもらいに行きました。
あらとは刺身用に三枚におろした骨や頭のことで、骨の間の肉が貴重でした。
私は毎日料亭に行き、あらをもらって帰りました。
やがて父は役所に就職でき、地方公務員になることができました。
中学ぐらいから病気で学校を休むことはなくなりました。
栄養をとることができるようになったのだと思います。
子供の頃は戦争について考えませんでしたが、高校生ぐらいから深刻に戦争について考えるようになりました。
反戦論者となり、戦争しない方法を考えるようになりました。
技術者となって技術開発分野で生きました。
技術といっても戦争のための技術は反対です。
人が生きるための技術、人を生かすための技術を重視しました。
アメリカなど戦争している国を見ますと、戦争より生産の方がはるかに大事なのにどうして武器を手に取るのかと悲しく思います。
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