社会福祉が発達しても親切を忘れてはいけない
戦後社会福祉が普及してきたため病気になれば健康保険、失業すれば失業保険、生活が困窮したら地方政府による生活保護、老人になったら年金保険というように社会福祉に依存することに慣れました。
介護保険制度が始まる前、地方政府は、今後は社会が動けない老人の世話をすると私達に説明しました。
老人である私はこれで子供達の世話にならなくてすむと思いました。
若い人達は親の介護から開放されたと思ったでしょう。
ところが現実はどの社会福祉も中途半端です。
たとえば健康保険では掛け金を払っていても病院で払う30%が払えず病院に行かない人がいます。
介護保険があっても介護施設が不十分ですから在宅介護が中心です。
動けない老人は誰かがついていないといけませんが、介護保険の在宅サービスはある限られた時間だけ世話をしてくれます。
結局家族の誰かが非常に苦しみながら動けない老人を世話します。
戦後の社会福祉が中途半端のまま人間関係だけが破壊してきましたので孤独な弱者の苦しみは地獄の苦しみです。
昔より安心して生活する人は圧倒的に多いと言われています。
するとかえって苦しむ人は少数ということで社会から忘れ去られやすいと思います。
社会福祉をやめて昔の社会に戻るのがいいと主張する人は皆無です。
したがって社会福祉は改善しなければなりません。
しかし完全にすることは不可能です。
そこで社会福祉時代の現代でも親切を忘れないことが大事です。
社会福祉があっても家庭でも会社でも町でもどこでも人は人に親切であることが大切です。
中央・地方政府も冷たい政府ではいけません。
窓口は来る人に親切であるべきです。
来る人に窓口が不親切ならその人は二度と政府と関係しないでしょう。
その人に関する記録はその時更新がとまります。
住んでいないのに住んでいることになっている、死んでいても生きている、などはよく起こります。
不親切な政府ではいけません。
現在の制度が不備であるならば窓口が問題を上に上げるような仕組が政府に必要です。
市民が団結して政府を批判したり裁判に訴えたりしなければ政府が動かないようでは冷たい政府です。
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