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2011.05.30

「人の命」を知ると人生一新

110530

精神は精神本体と自我からなると考えられます。
自我の存在は誰でもわかりますが、精神本体の存在はなかなかわかりません。

人類は数千万年、数億年、さらには数十億年かけてウイルスのような状態から今の人の状態に進化したと考えられます。
気が遠くなる時間をかけて発達してきた精神が精神本体です。
原始から発達し、機能してきた精神です。
原始的精神と呼んでいいと思います。
人類が滅亡せず今日まで生きてきたことから判断して精神本体は人を生かす非常に大きな力を持っています。

一方、自我は人の思考が急速に発達し始めた数百万年前ぐらいから精神本体上に新精神として発達したと考えられます。
自我も人を生かすため発達し、機能しています。

私は精神本体を「人の命」と呼んでいます。
ほとんどの人はこの「人の命」を認識しませんが、すべての人の中で機能し、人を生かしているのが「人の命」です。

「人の命」は人を生かす力であり、また自我に協力します。
本来自我は人が生きるために発達した新精神ですから、「人の命」は自我を疑いません。
自我が何々をしたいと思うと「人の命」はその実行を助けます。
問題は自我が悪いことを考えた場合、自我が悪いことを実行することを助けてしまうことです。
自殺や殺人は普通ではできないことですが、自我が自殺や殺人を考えると「人の命」がその実行を助けてしまうため、普通できないことができてしまいます。
人を生かす力が人を殺す力になってしまうことがある訳です。

このことから自我の思考の健全性が非常に重要だということがわかります。

人生とは「人の命」と自我の二人三脚です。
自我が生きることを考えれば「人の命」は人が生きるために自我を助けます。
「人の命」を知ると人生は一新します。

私は「人の命」を信じて生きています。

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2011.05.27

親の援助や遺産に期待しない

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兄がいますが、親の援助や遺産で兄と争ったことは一度もありません。
私は学校を卒業し、就職したら親から独立して自分で生活すると考えていました。
そしてそうしました。

父が資金を援助するから安いうちに土地を買えと言ってくれたときも、自分で買うからいいと言って断わりました。
やがて自分で土地を買い、家を建てるときに再び父が家の建設資金を援助すると言ってくれましたがやはり断わりました。

やがてその父が亡くなり、さらに二十数年たって母も亡くなりました。
兄が親の遺産処理の仕事を私に任せたので私が行いました。
私は生活に困っていなかったので遺産の配分については兄と争わないと心に決めていました。
結果的には兄は平等を原則にし、さらに私の労力に配慮した配分を行いました。

その兄が今は病気で外出が少なくなりました。
そこで私は毎月1回ぐらい兄を訪問しています。
70代の兄弟が人間関係を維持し、楽しく交流できることは嬉しいことです。

今は経済横這い、さらには縮小が予測されます。
生活が苦しい人が増えるでしょう。

それでも、

学校を卒業したら就職して親から独立し自分で生活する。
親の援助や遺産に期待しない。

こう考えた方が生活力がつくし、親子関係も、子供間の関係も平安ではないでしょうか。

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2011.05.24

友人を訪問

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昨年末奥さんを亡くした田園地帯に住んでいる故郷の友人を訪問しました。
ちょっと道に迷って遅れてしまいました。
畑仕事をしていたお婆さんに友人の名前を言って家はどこかと聞くと、遠くに見える温室を指さして、その右に見える家の向こう側と教えてくれました。

車を玄関の前にとめると、友人は首を長くして待っていたようで、車から私が降りる前に玄関から出てきて、「来ないはずはないと思っていました」と言いました。

友人は今は家で1人で生活しています。
広い和室に二人座ってお話しをしました。
友人はときどき明るく笑いながらお話しをするので安心しました。
ちゃんと食事も自分でし、外食はほとんどしないと言いました。
料理は単純でお鍋でいろいろな食材を煮ることが多いようですが、栄養は十分のようでした。

町では小学校で学校が終わった生徒に1対1で補習をするボランティア活動をやっているそうです。
その小学校の生徒のご両親は共稼ぎの場合が多く、生徒はすぐ家に帰っても遊んでしまうので、1時間ほど学校に残ってボランティアから補習を受けるのだそうです。

友人は、農業をやるほどではありませんが、畑があるのでいろいろな作物を栽培しているそうです。
この畑仕事で精一杯で庭まで手が回らないようで庭の方は草茫々でした。

「また来るからな」と言いますと、「楽しみにしているよ」と言って、自分の畑で取れたエンドウマメを二袋おみやげにくれました。

私は71歳の老人になりましたが、友人を訪問することが楽しみになりました。

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2011.05.20

原発中毒

110521

原発周辺の町や原発県は原発中毒にかかっています。
滅びることがわかっていながら原発なしではいられません。
原発があると楽だからです。
麻薬と同じです。
強制的に原発を取り上げないと滅びます。

しかし原発を取り上げるべき政府は取り上げるどころか反対に原発を与えています。
菅直人内閣は原発をやめないと言います。

不幸なことに世界にはまだ強制的に日本から原発を取り上げる機関がありません。

どうして人々は原発の危険性がわからないのでしょうか。
原発事故で大勢の人が死なないとわからないのでしょうか。


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2011.05.18

インターネットのこわい面

110518

人々はインターネットでGoogleなどの検索システムを利用して適当なウェブを見つけて情報収集します。
ところがこの方法で多くの人々が気付かないで危険ウェブサイトにアクセスし、ウイルスを送り込まれて何らかの被害を受けています。
ウイルス犯は頭がいいようでやすやすとセキュリティを破り、パソコンにウイルスを送り込んできます。

Googleなどの検索サービス会社は、検索されたウェブサイトの信用を表示する義務があるのではないでしょうか。
そうでないと人々は安心して検索サービスを利用することができません。
検索サービス会社はウェブサイトを載せる際、ウェブサイトの信用を調べるようにしてみてはどうでしょうか。

ところでOS会社、アプリケーションソフト会社、セキュリティソフト会社、パソコンメーカー、プロバイダーなどはパソコンを立ち上げるとインターネットで自動的に何らかのメッセージをパソコンに送り込んできます。
信用第一ですからこれらの会社は悪いことをしないと思いますが、この仕組は誰かが人のパソコンの中に勝手に入ることができることを暗示しています。
またクラウドなる仕組が普及すると、実は自分のパソコンは中身がない単なる端末でファイルはすべてどこかの超大型コンピュータに保管されていることになりそうです。

インターネットは非常に便利ですが、こわい面も持っています。

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2011.05.15

農業改革が必要

110515

日本は農業大国と主張している人がいることを知って驚きました。
生産量が世界5位であることを論拠にしているようです。

しかし日本は農産物需要の約60%を輸入しています。
食べすぎや食べないで捨てることなどをやめても約50%の輸入が必要です。
また輸入品の方がはるかに安い状態です。
お米ですが、貿易を自由化すれば国産は間違いなく負けます。
日本の農業に問題があることは明白です。
生産量だけを国際比較して日本は農業大国と言うのは誤認です。

農業を近代化して若い人が働きたいと思う産業にすべきです。
そのためには戦後の農地改革で誕生した農家による農業を見直し、農業の自由化、すなわち本当に農業をやりたい人が自由に農業をできるようにすべきです。

しかし本当に農業をやりたい人が広大な農地を確保することはむずかしいことと思います。
地方政府が農業を地方の重要な産業として位置づけ、広大な農業地域を指定し、会社による経営を考え、既存農家にその能力に応じて経営者として、社員として、あるいは株主として会社に参画してもらう仕組ができるといいと思います。
この会社には既存農家だけでなく外からも有能な人材が参画できるようにすると資本を集めやすくなるのではないでしょうか。

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2011.05.12

成文法だけが法律ではない

110512

政府が中部電力に浜岡原発の運転を停止してほしいと要請したとき反対者は法律がないと言って抵抗しました。
原発賛成者には常識が通用しないと思いました。

人の命を重視することは法の中の法です。
常識です。

浜岡原発を運転し続け、最悪の事故が起これば、周辺の人々、静岡県の人々、周辺県の人々、さらには日本の人々の命に危険を及ぼす恐れがあります。
東京電力福島第一原発事故を見れば被害を想像できるでしょう。

なんでも成文法を要求するようでは知恵がありません。
原発賛成者はもうちょっと常識を応用する力を身につけたらどうでしょうか。
応用力があれば法律がないと言って原発運転停止に抵抗するような愚かなことはしません。

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2011.05.09

昔も今も現実に流される日本人

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あれほどの東京電力福島第一原発の事故があったにもかかわらず、人々は、国が新しい原発安全基準を出し、電力会社がその基準を守るなら原発はいいなどと言っています。
未来を考えるのではなく、現在の生活を考えています。

なお中部電力浜岡原発だけは、大地震が近いと言われていること、津波対策が不十分であることなどを理由にして政府が稼動中の原子炉の運転停止を要請しました。
中電は抵抗しながらも運転停止の方向のようです。
廃止になるかはまだわかりません。

浜岡原発については私は津波被害より地震で制御棒が作動しないことを恐れています。
ここが最悪の事故を起こすと横浜も全滅します。
政府も中電も原発周辺の市県も廃止を決断してほしいと思います。

ところで政府の新しい安全基準は信頼できるでしょうか。
どんな安全基準をつくっても最悪の事故が起こる確率があります。
したがって安全基準ではなく最悪の事故が起こったときの被害の大きさが問題です。
既存原発は複数県、否、日本全域を破滅させるだけの破壊力を持っています。
これが既存原発の危険性です。

安全原発とは最悪の事故が起こっても自分の敷地を駄目にする程度の原発だと思います。
福島第一原発のように周辺の町を破滅させ、周辺県まで放射能汚染の被害を及ぼすような原発は危険原発です。

日本は大勢の人が原発事故による放射能障害で苦しんだり、死んだりしないかぎり原発を続けるでしょう。
第二次世界大戦ではいつまでも戦争をやめず、大勢の人が死にましたが、それと同じ愚かしさを今の日本人は繰り返しています。

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2011.05.06

節電から節約へ

110506

津波と原発事故の被害があまりにも大きかったので生産と消費が減り経済が縮小しました。
電力供給が減りましたので個人も会社も節電に注力しています。

私は朝は日の出とともに起き、夜は早寝します。
無駄な照明はやめ、比較的長くつけている照明はLEDに切り替えました。
ニュースはパソコンをつけたとき新聞社のウェブサイトを見て知るようにしています。
したがってテレビは見ません。
パソコンは仕事を終えるとすぐ切るようにしています。

原発を廃止するためには個人も会社も大胆な節電を行う必要があります。

人々が買わなければ生産を減らせます。
生産が減れば会社の電力需要も減ります。
したがって人々が節電から節約に行動を移すことが重要です。

節約すると経済が縮小するから問題と主張する人がいますが、無駄な生産を削ることはいいことです。
日本はまだ生産しすぎです。
無駄が非常に多い社会です。

経済縮小下でむずかしいことは失業者を出さない工夫です。
仕事の再配分に成功すればすべての人がゆとりのある生活を送れます。
今後は量より質が重要ですから大量生産より質向上に時間を割くといいと思います。

税収が減ると政府が破綻すると言われていますが、政府はお金の無駄使いが多すぎます。
政治家と公務員は協力して無駄省きをやってほしいと思います。
もしやらないなら政治家も公務員も大幅に減らしていいと思います。

日本は農林業が非常に弱いと思います。
人材が農林業に行くように政治的誘導を行うといいと思います。
今は農産物や木材の輸入が多すぎます。

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2011.05.03

若いときに「人の命」を知ることができたら

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子供のときから読書は大切と教えられて無数の本を読んできました。
しかし老人になってみると、本を多く読んだからよかったという思いは全くありません。
反対に早く「人の命」を知ることができたら訳もわからず多くの本を買い、読む必要はなかったと思います。

若いとき、生きる目的がわからず苦悩し、キリスト教を信じ、聖書やキリスト教関連の本をたくさん読みました。
価値観が単純になり、生きやすくなりましたが、やがてキリスト教で説明できない現実が多いことがわかりました。

50才ぐらいから人を助けているのはキリスト教の神でもキリストでもなく、「人の命」ではないかと思うようになりました。
「人の命」の重視という価値観はすべての宗教よりさらに単純ですが、現実をよく説明できると思いました。

生物が生を受けるとひたすら生きるように人も生きる目的は生きることです。
知識は人が生きること、人を生かすことに役立ってこそ本当の知識です。
博識になるだけでは知識は生きてこないと思います。

生きると言っても自分だけ生きることができればいいという考えでは実は生きにくいと思います。
たとえば人が嫌がることをやって生きたとしても生き生きと生きることはできません。

幸福な生き方とは自分も生き、人も生かす生き方です。
「人の命」は自分にもあり、人にもあります。
「人の命」の重視という価値観はほかの何ものにも勝る価値観だと思います。

なお私が言う「人の命」とは、生きている人すべてに働く、人を生かす基本的精神です。
原始的精神、原精神と呼んでもいいと思います。
精神には自我があり、何人も自我の働きには気付きますが、通常、人は基本的精神である「人の命」が潜在することになかなか気付きません。
しかし、気付かれなくても「人の命」は、人が生きることを助けています。
私は「人の命」こそ真の神と思っています。

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