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2012.09.28

人にとって一番大切なものは「人の命」

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戦前戦中の日本の人々は、「人の命」や自分や自分に身近なものを大切にするすることを忘れ、国だ、アジアだ、世界だと大騒ぎをして破滅的な失敗をしました。

最近の日本の人々は大きいことを考えすぎです。
しかし自分が確立していないと思います。
生きる力は何か、生きる目的は何か、自分はそのことを知っているかと考えてみてはどうでしょうか。
大言壮語しても自分を見失っていると100%の確率で失敗します。

今度自民党総裁に選ばれた安倍晋三氏は、前に総理になったとき「美しい日本」という美しい言葉に負けてしまい、思考が混乱して体調を崩しました。
その後、精神的脱皮を遂げたというお話しを聞いていません。
総理職から解放されて元気が出ただけと思います。
今度は「強い日本」と言っていますが総理職になればまた思考が混乱するでしょう。

自民党に政治を担当させることは危険と思います。

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2012.09.23

心から日本を愛している

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民主党代表に再選された野田佳彦氏が「心から日本を愛している」と言います。
心から日本を愛している人が原発運転による放射性物質の増加を容認することはありえません。
何故なら放射性物質を安全に管理することは至難の業です。
東京電力福島第一原発が恐るべき放射能汚染を起こしたように、これからも原発は放射能汚染事故を起こします。
安全に管理できる自信がなければ放射性物質の増加を容認しません。
つまり原発運転を容認しません。
したがって野田氏はうそをついています。
野田氏は人の命を軽視しています。
子孫が永遠に放射性物質の管理に苦悩することを考えていません。

そのような野田氏を代表に再選した民主党を信用しません。
次の衆議院選挙では民主党には投票しません。

なお、自民党にも投票しません。
自民党は原発賛成です。
人の命を大切にしていません。

私の選挙区にすぐ原発処理処分に入るべきと考える政治家がいるかわかりません。
立候補を考えている政治家の考えをよく調べて投票に臨みたいと思います。

私は私の命と、人々の命と、子孫の命に責任があります。

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2012.09.19

山形旅行

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齋藤茂吉記念館から見た蔵王

9月15日-17日の三連休を利用して山形県に行ってきました。
3日間とも晴れで無風、非常に蒸し暑く、汗また汗の旅となりました。
北海道も暑かったと言いますから東北ぐらいではとても避暑にはなりませんでした。

山形県はほとんど森林に覆われた山地からなります。
山間の盆地と最上川河口部に広がった庄内平野は今黄金色の稲穂に覆われています。
果物は桃、プラム、梨、ぶどうなどが出荷されています。
森林が活かされていないのは残念なことです。

人々は人情にあつく、旅人に親切です。
観光に力を入れていることもあるでしょう。

最初の訪問地上山(かみのやま)のかみのやま温泉駅の観光案内所にいた女性は、みずから暇があれば県の観光地を訪問し、的確に旅行者に案内できるように心がけているそうです。
上山なら何と言っても齋藤茂吉記念館に行けと言うのでそれではと行ってきました。
記念館は茂吉の生地上山市金瓶(かなかめ)のすぐ南にある、東に蔵王が見える美しい丘の上にありました。
奥羽本線で北へ一つ目の駅が茂吉記念館前駅ですが、電車の本数がないのでタクシーで行きました。
幕末から明治にかけ地方から数多くの人材が誕生しましたが、茂吉もその一人で、精神科医としても面白い人だったようですが、歌人として多くの業績を残しました。
実相に観入して自然自己一元の生を写すという短歌精神の言葉を残しています。

「最上川逆白波(さかしらなみ)のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」
これは記念館を入るとすぐ左に掲げてある茂吉の代表歌の一つです。

さて、この記念館まで送ってくれたタクシー運転手が、しばらくして見学中の私の所に来て、小さな財布のようなものを見せて、私の落し物ではないかと訊いてきました。
私のではなかったのですが、彼は戻ってから車の中の落し物に気付いて私のものではないかと思ってまた記念館まで来たそうです。
何と親切なことではないでしょうか。

晩、上山の町を散策していると、例の観光案内所の女性が町の人と立ち話をしていました。
これはまた思いがけないことと思って挨拶をすると、女性も私のことをよく覚えていて、明日お祭りをやるので町の人と打ち合わせをしていると言いました。
女性は駅の観光案内所で働くだけでなく、町の観光を振興するためにも働いていたのです。
上山は温泉町であり城下町ですが、さびれているという印象はぬぐえません。
女性は何とか町に元気を取り戻したいと思って頑張っているのでしょう。

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2012.09.12

野田佳彦総理は確信犯

政府は東京電力福島第一原発事故による放射能汚染の事実を矮小化し、避難指定区域以外でも人々が被曝したのに放射能汚染の事実を報ぜず、避難させませんでした。
これは人命軽視であり、犯罪です。
政府の中に避難について決定をした人がいるはずです。
当時の菅直人総理ではないでしょうか。
しかし菅内閣が潰れただけで、菅氏は厳しい罰を受けていません。
今菅氏は原発をゼロにすることに全力を注ぐと言っていますが、もしかすると罪滅ぼしで言っているのかもしれません。

ところで現在の野田総理は原発をゼロにする方向と言いますが、自分が人選する原子力規制委員会が安全だと言った原発について再稼動すると言っています。
再稼動してはいけないと考える人を委員長にする訳はありませんから、野田総理が安全基準を決めてその基準に合った原発を再稼動するということに等しいと思います。
総理とは言え、勝手に安全基準を決め、原発を安全と言う権限はありません。
原発の安全性を科学的知識も人命重視の倫理観もない人が決めることは誤りです。
野田総理はまさに確信犯です。

今私達ができることは、近いと言われる衆議院選挙で原発再稼動反対の政治家に投票することだと思います。
建築学者の多くは起こりえる大地震に耐える原発はないと言っています。
日本は火山帯の上にあります。
福島第一原発は大地震に耐えず大規模放射能汚染を起こし、現在も事故処理は終わっていません。
ほかの原発も甘い安全基準で建造されたもので安全ということはありません。
ちょっと補強したら安全になるということもありません。
原発が破壊する原因は大地震、大津波以外にもいっぱいあります。
放射能汚染が起こる恐れがある訳ですから人命重視の政治家なら迷わず原発を再稼動せず、すぐ処理処分に入ります。

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2012.09.08

大きく成長した宗教団体と信者

学生など若い人は家庭や学校で育ちますから概して理想を持っています。
ところが社会と接することが多くなると理想とは大きく異なる現実を知るようになります。
現実に順応しやすい人はあまり苦悩しませんが、理想を大事にする人は苦悩します。
最後は現実を変えることができない、あるいは順応できない自分の無力に苦悩します。

このようなとき、神は万能である、神を信じる者は何でもできると教え、実際に企画実行力がある宗教者が現れると苦悩している若い人は宗教者に救いを求めます。
まずは信ぜよと言われると信じます。
すると不思議なことに自分に力があることを感じるようになります。
苦悩が消え、自信が満ちます。
神は万能である、神を信じる者は何でもできる、自分は何でもできる、宗教者は神から遣わされた使者と信じます。
この思考は単純明解ですから一度信じると信者はまず捨てることができません。

救われたという思いは苦しんでいた人にとって何物にも代えがたいものです。
宗教者から全財産を献納せよと言われても驚きません。
神と使者(宗教者)を信じていれば怖いものなしです。

こうして信者は働き蟻のように働き、貢ぎ、大きな宗教蟻塚ができます。
信者は働き蟻のように元気に働き一生を終えます。

これは大きく成長した宗教団体と信者の実態だと思います。

働き蟻だって信者が幸福と思えばいいではないかという評価もあると思いますが、宗教者が宗教とは無縁の権力者になっていたら信者は若いとき描いた理想を実現したと言えるでしょうか。
信仰によって現実に順応しただけではないでしょうか。

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2012.09.04

「人の命」は絶対

学問の発達によって仏教、キリスト教、イスラム教などの既存宗教まで学問の対象となり、宗教の絶対性を信じる人は減りつつあります。
仏教信者がキリスト教信者を否定するとか、キリスト教信者が仏教信者を否定することが少なくなり、共存が可能になっています。
比較的頑固と言われるイスラム教信者でも、外国人が仏教信者あるいはキリスト教信者などであることは容認するようになりました。
自国の宗教という認識があることを示しています。
やがてイスラム教信者も自国の宗教という考えから解放され、自分の宗教という認識に変わると思います。

人々は宗教の絶対性より宗教の効果を評価しているのではないでしょうか。
宗教の効果とは具体的には信仰の効果だと思います。
信仰の対象が何であれ、信仰心を持っている人は、思考のいい悪いは別にして思考が安定していると思います。
言動のいい悪いは別にして言動が安定していると思います。
それだけ行動力が出ることになります。

しかし現代では生活のしやすさに流されて自分の宗教と矛盾することを平気でやっている人がほとんどです。
これはイスラム教信者も同様です。
自国では敬虔なイスラム教信者であっても外国では外国の慣習を楽しんでいる人が増えています。

それでは絶対的宗教はないのでしょうか。
私はあると思います。
自然が存在する力があるように人が生きるにも人が生きる力があると思います。
すべての人がその力を感じるが力が何であるか表現できないでいるのだと思います。
一部の人が、教祖が主張した神仏などを力と思い込んでその神仏などを力と信じているだけだと思います。

仏教、キリスト教、イスラム教などは「教え」を持っています。
これは人が生きる知恵となっており、共通する教えが多いと思います。
そこまで教祖やその後の弟子達は力に迫っているということだと思います。

人は数千万年前、数億年前、もしかすると数十億年前、ウイルスのような状態で誕生したと思います。
気が遠くなるような年月をかけて変化しながら生物として発達し、数百万年前、脳に劇的変化が生じ、思考力が非常に発達して現代人に至ったと考えられます。

その間、絶滅することなく命が伝わってきたのですが、その生命力こそ絶対と呼んでいい力を持っていると言っていいのではないでしょうか。
今生きている人は自信をもってこの生命力を信じていいと思います。
体に障害があるため、あるいは体に悪いことをしたり、受けたりして早死にすることはありますが、信仰者、無信仰者関係なく、すべての人にこの生命力が働いています。
私はこの生きている人すべてに働く生命力を精神本体、基本的精神、原精神、「人の命」と呼んで信じています。
「人の命」を信じることは生きることを重視することになり、人生を大きく誤ることはないと思います。
生きる目的は生きることだと思います。

なお、体は有機複合体であり、破壊して人は死にます。
死ぬと生きている人に働いている「人の命」はロウが絶えてロウソクの炎がパッと消えるように消えます。
「人の命」が体から出て永遠に存在するということはありません。
人類が絶滅すれば「人の命」はどこにも存在しないことになると思います。

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