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2016.04.12

老後の入信

S160412

宗教団体とは無縁の生活を送ってきた人が老人になって宗教団体に入る場合があります。
宗教とは安心を得るために信じるとものと言われています。
老人になって何か不安に襲われたのでしょう。

私は社会人になって東京に出て会社員になり、自分の考えが会社で通用しないので暗澹たる思いで会社生活をしていました。
上司とも同僚とも人間関係が悪くなり、辞表を書いて上司に提出し、親の家に帰りました。
するとすでに会社員になっていた兄がすぐ親の家にかけつけ、間違っているのは上司や同僚ではなく私だと父と一緒になって私を叱りました。
衝撃を受けた言葉は、考えを変えない限り、私はどこへ行っても上司、同僚とうまくいかず、また辞表を書くことになるということでした。
父や兄は自分の経験に踏まえて私の未来を予言していたので、反論の方法を見失ってしまいました。
もっと衝撃的な言葉は、父も兄も、辞表を出した上司に明日朝一番で会い、私が間違っていたと言って赦しを請えという指示でした。
これができなければ、我を張ることになり、一生、私は孤立して生きていくことになると言われました。
我が崩れてしまい、涙が止まりませんでした。

次の朝、会社に行き、上司に、私が間違っていた、赦して下さいと言うと、驚いたことに上司は、にこっと笑って何も言わず辞表を返してくれました。
私はすぐ職場の移動を命じられました。
上司は現実をよく知っていた人で、賞罰が必要、また新しい職場で新しい人間関係をつくってほしいと思ったのでしょう。
次の年度、私は昇進しませんでした。
同期とは1年遅れになりました。
賞罰を明確にするとのことでした。
別に私は不満を感じませんでした。
(注)35歳ぐらいで同期は管理職になりましたが、これぐらいの年齢になると、昇進遅れの人が多数生じていました。私は1年遅れのまま順調に昇進したので結果的には昇進が早い方になっていました。

20代前半であった私はこの苦悩を経験して、兄のすすめもあり、あるキリスト教団体に入りました。
我を張ることがなくなったので会社生活も宗教団体の活動も家庭生活も特に問題をおこすことなく、元気にこなしてきました。
キリスト教を信じることで不安が消えたからでしょう。

そのキリスト教も、研究すればするほど、現実に合わないことが多いことがわかり、次第にキリスト教と矛盾した生活に悩むようになりました。
約10年間、聖書解釈を変えることで矛盾を解消しようとしましたが、55歳頃、無益な努力と悟り、キリスト教を捨て、神とは精神本体という考えに立つ決心をしました。
信仰を変えてから20年がたちましたが、現実との矛盾がなく、現在も平安が続いています。
(注)聖書によると聖霊は天から下るとあるが、生を受けた瞬間から人に内在する精神本体がキリスト教の聖霊に相当すると思います。天にまします神、神の独り子イエス・キリスト、天から下った聖霊などの考えは、キリスト教独特の考えと思います。

このような訳で、老人になってから宗教団体に入った人のお話しを聞くと、えっ、今さらと思うのですが、老人になって初めて不安に襲われる人も多いことと思います。
老人生活において不安が消えることは本当に嬉しいことだと思います。
ただし、神仏について深く考える間もなく、死が訪れることが多いのではないでしょうか。

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