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2016.06.18

私はお墓も仏壇も持っていない

S160618

遠い地方の故郷に父は市営墓地を契約していました。
そこで父母の骨はこの市営墓地に埋葬しました。

しかし故郷からやはり遠いところに住んでいる兄が高齢となって子に相談したが、兄の子は墓地の管理はやりたくないと言いました。
そこで兄は墓地の管理について私に相談してきました。
私も高齢でしたし、私の子も兄の子と同じ考えでした。

兄と私は相談して市営墓地を市に返すことにしました。
その旨、市に届け出ると私たちは市から感謝されました。
今どき、国や地方に、人は墓を持つべきとの価値観はないようです。

私は今は横浜で生活しています。
地方の慣習からすっかり解放され、特に宗教的慣習から完全に開放されました。
神社の氏子でもなく、お寺の檀家でもありません。
戦後教育の影響があるかもしれませんが、宗教的慣習から自由になると自由に考えるようになります。

お墓をつくって死者の骨を埋葬する必要性はないと思います。
お墓のほかにさらに位牌をお寺につくってもらって仏壇を買って安置する必要性はないと思います。

人は死ぬと、水となり、炭酸ガスとなり、灰分となり、自然に帰ります。
これで十分ではないでしょうか。

大切にすべきは、一番は死者の思い出です。
次は思い出のこもった遺品でしょう。

私は父が私のために書いてくれた書と、父が母のためにつくったツボを押す木製の道具を持っています。
ツボを押す道具は私も時々使っています。
母については母が故郷の家から持ってきたサボテンを大切にしています。
このサボテンは母の生存中は一度も咲きませんでした。
ところが不思議なことが起こるもので亡くなった後、その年、見事な花が咲きました。

死者についてはお墓でも遺骨でも仏壇でも位牌でもなく、存命中の思い出が重要ではないでしょうか。
この思い出は子に伝えれば子にも残るでしょう。
しかしどこかで消えるでしょう。

これでいいのではないでしょうか。

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