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2017.02.13

神とは

会社に入って我を張って上司や同僚と対立し、退社を決心したが、ある人が、私はどの社会でも我を張り他人と対立する、社会に居場所がない、我を張ることは愚かと言って私を教え悟しました。
この人に反論できず、私の我が崩壊してしまいました。
この人がキリスト教信者だったので私はキリスト教を学び始めました。
キリスト教を信じて30年ぐらいがたちました。

感心する教えは非常に多いと思いましたが、キリスト教を学べば学ぶほど、真実と思えないことも非常に多いと思うようになりました。
ほかの宗教書も数多く勉強しましたが、感心する教えはやはり非常に多いと思いました。
一方、真実と思えないことも非常に多いと思いました。
宗教以外の哲学、心理学、生物科学、神経科学などの書物も読んでみました。
精神の働きを研究しましたが、いわゆる信仰の力は、外から来るのではなく中から来ると実感するに至りました。
キリスト教の聖霊は大きなヒントになりました。

キリスト教に限らず霊感を経験する宗教信者は非常に多いと思います。
感じるのは自我です。
自我が我を張らず、神を信じて祈ると不思議な力を感じます。
安心、自信、力が湧いてきます。

信じるという行動は自我の精神行動です。
この精神行動に協働する何かが精神構造の中にあると推定できます。
精神的なものでなければ協働することはありません。
外にあるものを信じてもそのものが祈りに応えることはありません。
信者は外物が応えたと思っても実は精神構造の中にあるものが応えたと考えることが妥当と思います。

自我は、人類が人らしくなってから大いに発達しました。
この自我以外にすべての人に内在する精神と言えば、原精神、原始的精神、つまり動物的精神以外に考えられません。
人類は、人らしくなる前に、ウイルスのような状態、原始的生物の状態、動物の状態、そして猿のような状態を経ました。
この気が遠くなる長い時間を生き抜いてきた、人になる前の人に発達してきた動物的精神は非常に大きな生きる力を持っていると言えます。
そうでなければ人はとうの昔消滅していました。
精神とは動物的精神を精神本体とし、その外側に自我が発達したものと思います。

この精神本体を神と呼ぶことは矛盾がないのではないでしょうか。
神はすべての人の精神の奥深いところに内在すると思います。
我を張りやすい自我が、我を張ることの愚かしさを悟り、神を信じて祈ることにより、神はその祈りに饗応するのだと思います。

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