私は、子供のとき、キリスト教信者から新約聖書をもらったり、町のキリスト教会のスウェーデン牧師の奥さんから英会話を習ったりして何となくキリスト教に関心を持っていました。しかしキリスト教にのめり込むことはありませんでした。
大学学生時代に聖書の研究に熱心な先生がいて、先生の自宅に呼ばれたりして聖書のお話を聞くことが多かったが、やはりキリスト教を信じるには至りませんでした。
社会人になって、東京にある会社の同僚と人間関係がうまく行かず、転職を決心し、日曜日、親の家に帰ってその旨報告すると、すでに上記の先生の弟子となっていた兄がそのことを聞いてすぐ親の家に来て、父も兄も、転職は正しくない、我が強いから人間関係が悪い、新しい職場に行っても人間関係で失敗すると真夜中まで私が転職をしないようにと説得を続けました。私は父や兄の説得に負け、転職を翻意し、次の月曜日、会社に行って上司に謝りました。そのとき、驚いたことに上司は、にこっと笑って私の辞表を返してくれました。転職の決心は間違いだった、私の我に問題があったと改めて思い知らされました。
兄がキリスト教信者であったことがあり、私はまじめにキリスト教を学び始めました。我が崩れた私にとってイエス・キリストの教えは新鮮でした。キリスト教を深く学ぶため、東京のキリスト教夜間講座に通って旧約聖書の言葉であるヘブライ語、新約聖書の言葉であるギリシャ語を学び、原典を自分で翻訳してキリスト教を学びました。
しかし既存のキリスト教会に行くことはしませんでした。教会員との交流はどんどん増えたが、どの教会でも牧師などが、教会運営のため、信者からの献金などを集める、宗教雑誌などを信者に売る、株の売買を熱心に行っているなど、集金に非常に熱心と聞いたからです。そうしないと教会の運営ができないと牧師などからも聞きました。
やがて上記の大学時代の先生が東京の大学に転勤し、聖書研究会を設け、私に事務局担当依頼があり、引き受けました。先生は会を聖書研究会と言い、教会とは言いませんでした。貸会議室を借りて毎日曜日、先生の弟子が、数十名集まって聖書の勉強を行いました。私は先生の前講をつとめました。先生は宗教雑誌の発行を始めたので、私も論文をのせてもらったり、雑誌の拡販に協力しました。私は雑誌を英訳し、世界への拡販も試みました。
やがて先生の大学退官が近づくと、驚くべきことが起こりました。先生は、聖書研究会の参加者が少ない、会費の集まりが悪い、雑誌の売れ行きが悪いと事務局の私を批判したりしました。先生の異常行動はさらにひどくなり、収益目的の会社をつくるから弟子たちは会社員になってほしいとか、キリスト教会をつくるから弟子たちは教会員になってほしいとか、これまでの聖書研究者とはまったく違うイメージの言動をとり始めました。先生の私生活ではキリスト教に反する言動がどんどん増えていきました。
ある日、先生の意向にそわない私を先生は激しい口調で批判しました。去るべき時がきたと判断した私は、すぐ先生に協力することをやめ、関係を断ちました。
お金がほしいとの思いがキリスト教信仰を不純にすると痛感しました。教会の牧師たちが集金に夢中になることがよく理解できました。
キリスト教団体に限らず、宗教団体の中では純粋信仰は育たないと思います。団体維持とか、団体施設などの維持でお金儲けが必要になります。信仰は不純になります。
今話題になっている安倍晋三元総理を殺した男性の母親がある宗教団体の信者になって資産を失い、彼の養教育に問題が生じ、彼が、悪い思考にとりつかれ、宗教団体を恨み、さらに恨みの矛先が安倍元総理に向かったという事件は、宗教団体の問題点をよく示していると思います。
純粋信仰は一人一信仰で実現すると思います。宗教団体の中では無理と思います。
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