葬式は簡素化の動き。複数回やるものではない
因習があったのでしょう、昔は葬式を大きく行う傾向がありました。私は葬式は簡素に行うのがよいと考えていますが、昔、二度、知人の奥さんと、義父の葬式の葬儀委員長を依頼されて引き受けたことがあります。
委員長と言っても、喪主の指示で仕事をこなすだけで、葬儀を任された訳ではありません。喪主が、葬儀の案内状を大勢の人に出すと言うので、それなりの施設を使わないと収容できず、数百万円規模の葬儀となり、委員長など引き受けてはいけないと思いました。
会社で社長あるいは前・元社長が亡くなると、社葬が行われました。会社はバスを出して、社員を社葬に参加させました。私はいつも会社の留守番をすることになり、社葬に出たことがありません。
社員や社員の身内が亡くなると会社は管理職に葬式に行くように指示してきました。私も管理職になってから何度かこの種の葬式に参加しました。会社から指示されたからというよりは自分で行きました。部下のことを思って行きました。
私は父と母の葬式を行いましたが、父の時は、私が師事していた先生が葬式を主導したので先生の弟子たちが大勢集まり、私の意にそわない葬式でした。やはり、指示された仕事をこなすような葬式で意にそわないものでした。父とまったく関係がなかった人がおおぜい集まり、これは葬式ではないと思いました。
母の葬式は、その後、例の先生との関係が切れ、さらに先生が亡くなっていたので、思い通り家族葬で簡素に行いました。
私の町では、昔は自治会が葬式をやってくれましたが、近年は、町の高齢化で死亡が多く、自治会で対応することが不可能となり、ほとんどが家族葬となりました。元自治会長の葬式も自治会はやりません。自治会が葬儀の案内を自治会員に出すこともありません。老人会の会員が亡くなると、老人会は葬儀の案内を会員に回覧しています。しかし今はほとんど家族葬です。班内で誰かが亡くなると班長は班員に知らせることになっていますが、近年、班長がそのような回覧を回したことはないと思います。実質やっていないと思います。班長にも死亡を知らせないで家族葬を行う人がほとんどです。現在は自治会は葬式に関与しません。
町の人で関係が深った人については、家族葬でも、私が、家を弔問することはあります。先方から来てくれと言ってくる場合もあります。葬式に行くのではなく、個人的に弔問します。
現代は葬式を簡素に行います。大きくやるのは昔の因習です。
安倍晋三元総理が亡くなったと言って、大半の国民が反対したのに、関連法もない国葬を強行した岸田文雄総理は、非民主的で、因習を捨てることができない古臭い価値観の人と思います。すでに安倍元総理の葬式は夫人が喪主となって増上寺ですんでいました。葬式を複数回行うことは変です。仏教が言う彼の霊はどうなっているのでしょうか。国葬ではなく、有志が私費で追悼会をやればよかったと思います。
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