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2023.09.04

死んでも魂は残り、永遠に生きるか

9月2日、中学校3年生の同級会があり、84歳、83歳の男性3人、女性6人が故郷の料亭に集りました。男性の一人が「キリストの幕屋」の信者で、人は死んでも魂は残り、永遠に生きることを知ることがだいじと言いました。おしゃべりで盛り上がっていたが、急に座が白けました。そうですねと言う人がいませんでした。言い出した当人も次の言葉が出なくなりました。

女性の一人が、私にカトリックでしたねと言いました。私は「カトリックではありません、信仰は持っているが、既存の宗教団体には所属していません」と答えました。同級会で突然自分の信仰を話すのは嫌だったのでそれ以上は言わず、話題を変えました。

再び同級会は賑やかな情報交換会になりました。

これまでに地球上に現れた人は無数です。死者の魂が存在してすべて生きているとすると、地球、あるいは宇宙に無数の魂が生きて存在することになります。しかし少なくとも実在を知らない人の魂についてはその存在をまったく感じません。歴史を勉強してその実在を知った人についてもその魂の存在を実感する人はほとんどいないと思います。非常に想像力、感性が豊かな人が、心で(五官で感じたと思う人もいると思う)魂を感じて魂は存在すると思うことはあると思います。

科学的には、生きている人の神経系の中でおこったことと説明できるが、地球、あるいは宇宙に魂が存在することを証明できた人はいません。

現在言えることは、死んでも魂は残り、永遠に生きるということは信仰の一つだということです。真実らしくないが、そう信じることで平安に現実を生きるなら結構という考えはあると思います。しかしそう信じなくても平安ならばその方がいいのではないでしょうか。もし虚偽を信じて平安ならば、それは真実の平安ではないと思います。

上記の「キリストの幕屋」の信者は小学生のときからの友人です。私の方が先にキリスト教を信じたので、マーフィー100の成功法則などを勉強している友人に聖書を勉強することを勧めていました。ちょっと仲違いした感じになり、困ったなと思っていましたが、ある日、突然、友人が、「生命之光」という「キリストの幕屋」の機関誌を送ってきたので驚きました。信者は霊的な人、感性的な人が多く、一度入信すると、揺るぎない信仰生活に入る人が多いと思います。

すでに私は、生きている人すべてに霊(キリスト教でいう聖霊に相当)は内在するとの確信を深めていたのでキリスト教から自由になっていました。所属していたキリスト教団体からも自由になっていました。友人にも私の信念は話しました。友人は自分の信仰を私に信ぜよとは言いませんでしたが、ほかの人には布教熱心でした。

友人はこれまでの同級会で「生命之光」をみんなに配るのでみんなから敬遠されていました。今回は機関誌は持ってきませんでした。代わりに、魂についてお話をしたかったようです。しかし、やはり今回も敬遠されてしまいました。

「キリストの幕屋」は創立者寺島郁郎氏が亡くなり、弟子の一人が後継者になっているようですが、寺島氏の奥さんが存命で強い発言権を持っているとの情報もあります。純粋新約聖書主義ではなく、寺島氏の感性が赴くまま、日本主義的でもあり、イスラエル主義的でもあり、超能力主義的でもあり、神秘主義的でもありました。言動の様子はイエス・キリストのようであったようです。

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