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2023.09.27

10月1日車検が切れるので23年乗った車を放棄する

車があると便利ですが、83歳になって乗る距離が非常に短くなっており、車検関連費用、税金が高くて費用対効果が非常に悪くなっているので車を放棄する決心をしました。

車検をとっているのに古い車は、税金が割高というのはまことに不合理な税制です。車検をとる意味がなくなります。日本は車を大切にして長く乗るなと言っているようなものです。

自動車メーカーも、新しい車を売りたいので古い車の部品を供給しません。修理会社は、部品がないので古い車の修理を嫌がります。自動車の心臓はエンジンです。私の2000年車はエンジンは好調です。エンジン以外の小さな部品がないという理由で廃車を迫られます。もったいないことです。

車について大きな問題意識を持ちながら、歳の問題、利用度の問題もあって複雑な思いをもちながら車放棄を決心しました。

今日は最後のドライブという思いで、横浜市港南区から府中市にドライブに行きました。府中で親子5人全員が会い、府中のインドカレー店で食事をしながら雑談しました。往復で4時間ぐらいのドライブでした。疲れたら同乗の二人の子のどちらかに運転をお願いするつもりでしたが、最後のドライイブとの思いがあって気が張っていたのか、特に問題なく運転ができました。

まだ廃車まで4日ありますが、この4日を無事故で乗ると、実に62年、無事故で車に乗ってきました。

大学の学生のとき学生仲間でお金を出しあって中古の「ダットサン」を買い、大学の構内にあった自動車練習場で自習し、数回、町の教習場で指導を受け、町の試験場で試験を受けました。熱心に練習した甲斐があって1回で合格しました。不思議に思いましたが、頭がいいはずの学生仲間はすべて筆記試験で落第しました。したがってこの日、実地試験を受けることができたのは私一人でした。

私は免許がとれたので、私一人、車を大学の構内から外に出すことができるようになり、私の運転頻度が飛躍的に増えました。学生仲間とドライブに行くときは私が運転手を務めました。夜は車があいているということで大学から10数kmのところにあった自宅から車で通学できるようになりました。当時、近所で車を持っている家は1軒もなく、近所の人は、非常に驚いていました。

会社に入って東京勤務となり、独身時代は独身寮に入りました。駐車スペースがなかったので車を買えなかったが、結婚すると、社宅には車を置くスペースがあったので、すぐ360ccの軽「フロンテ」の中古をまず買いました。妻とよくドライブに行きました。煙が出るし、速度は出ないし、足は窮屈で曲げて操作するひどい車でしたが、東京から故郷の磐田まで行ったこともあります。

軽はよせと言って兄が、新車を買うので古くなった小型乗用車をくれました。半年ぐらいで軽を捨て、小型乗用車に乗るようになりました。その後は家族の数に合わせて車を大きくし、家族が6人になったときはワンボックスカーを買い、よく長距離ドライブに行きました。

その後、家族が二人になったので2000年、ワンボックスカーを放棄し、現在の小型乗用車に戻りました。

62年の車歴を2023年10月1日終えます。今日最後のドライブができたことを4人の家族に感謝しました。無事故を神に感謝しました。

運転免許証は2025年3月8日まで有効なのでそのまま持っています。当時の免許は大型自動二輪に乘れる免許ですが、大自二は乗ったことがありません。父が50cc「スーパーカブ」に乗っていたので、「スーパーカブ」は乗りました。現在の車を放棄したのち原付を買おうと思い、オートバイ販売店に行くと、老人は危険だからよせ、買うなら4輪(軽)を買えと勧められました。今時の軽は小型乗用車並みです。現時点では買うつもりはありません。車なしの生活をやってみようと思っています。

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