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2023.12.20

日本人に脈々と生きている自然に精・霊を感じ、神とする原始神道は日本の精神文化

仏教やキリスト教を知って原始神道を古くさいと思うのは人間の考えです。僧や宣教師が、新知識をもたらし、生活改善あるいは社会改善がおこったことは事実でよいことでしたが、だからと言って原始神道を否定しても、日本人の心に沁みついていますから拭い去られることはありません。

僧は仏の世界を仏閣に表現するべく工夫努力してきました。自然主義ではなく、人工的です。実は日本人の精神文化とは異質です。しかし、仏殿の中で見る仏像づくりに力を入れる以上に、仏殿から見る庭園づくりに力を入れました。ちょうど画家が自然を見て絵を描く行動に近似しています。仏閣の美しい庭園は自然を表現したものです。仏像愛好家は多いと思いますが、仏閣を訪問する人のほとんどは庭園に安らぎを感じています。仏殿は庭園を鑑賞する場の役割を果たしています。

原始神道は神社を建設するような神社神道に変化してしてきましたが、神道の神社は概して質素です。自然に勝っていません。神社に神をまつっていると言いますが、神社を贅沢には作っていません。実は、日本人は、神社神道になっても、自然に神を感じる心が強く、神社が質素であっても問題とは思っていなかったと思います。神社は自然の中に自然に勝たないたたずまいで建てられていることが多いと思います。

中世に日本に入ってきたキリスト教は、日本人とは大幅に異なる精神文化をもつ西洋人の宣教師が伝えたので、自然も庭園も抜けてしまいました。礼拝堂とキリスト像あるいはマリア像、あるいは十字架でした。仏教と同じようにキリスト教は教えが充実しており、学問、信仰の対象となりましたが、日本人はそれほどキリスト教に共鳴していないようで現代においても神社仏閣を訪問する日本人の多さに比較すると礼拝堂を訪問する日本人は非常に少ないと思います。

外来文化の影響を受け、日本人は多様な思考をするようになっていますが、本質、実は現代も原始神道が人々の心に生きています。

ところで人も自然です。人の精・霊が人の神と言えます。火の神、水の神、木の神、森の神は人の神ではありません。そこで人の神を神と呼ぶと、神はすべの人に内在して人を生かしていることになります。これは真実だと思います。

人に神を感じる心は、実は人にとって一番重要な心だと思います。

キリスト教では、人は悔い改めると、聖霊が天の神から人に下り、人の中で聖霊が人を助けると教えています。天の神から下るのではなく、悔い改めるともともと人に内在して働いていた精・霊を感じるようになるということだと思います。天の神は空想とすれば、キリスト教の聖霊は神ということになります。これは真実だと思います。

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