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2024.02.04

神道に教えはないは誤り

教祖がいない、教典がないなどの理由で神道に教えがないと、現代、主張している神道学者がいるが、神道学者の神道知らずです。

神道とは、日本という風土の中で日本人が血縁的共同体を形成し、生活している間に日本人の心にしみついてしまった精神です。基本は生きるために学んだ知識・知恵です。先祖は何十万年、何万年という気が遠くなる年月を日本風土の中で生きてきました。人口はそれほど増えることなく、紀元前後まで血縁的共同体が概して隣の共同体と争そうことなく、存続したと思います。

彼らの脅威は、隣の共同体ではなく、自然であったと思います。食料収穫の波、天災、事故、病気だったと思います。総合的には日本の自然の恵みは豊かであったが、時には非常に不足ということもおこりました。

当時の経験知識では原因がわかりませんでした。自然に神々の力を感じました。神は喜んでいる、あるいは怒っていると想像しました。生きるのにいいか、悪いか、わかったことについて経験知識が積み重なり、それが教えとして心にしみついていきました。文字を開発することは考えなかったようで記憶伝承という方法で経験知識が子孫に伝わったようです。

これは何を意味するかというと、共同体で経験知識者が突然一斉に死ぬ、あるいは追い出されるなどの事件が少なかったことを意味します。つまり概して平和だったと思います。文字による経験知識の記録の必要がなかったことを意味します。また記憶力がよかったようです。経験知識が少なかったので記憶は容易だったと思います。のちの世のことですが、650年ごろ生まれたと思われる人ですが、皇室職員(舎人)の中に稗田阿礼という人がいて抜群の記憶力があったようで、天武天皇に天皇の系譜、神話、伝説などを探し、暗記することを命じられたそうです。7世紀ごろになっても日本は文字で記録する慣習が普及していなかったようです。稗田阿礼の記憶をベースに太安万侶(700年前後の人、官人)が古事記を編集しました。漢字の音訓が併用された文体です。

神道の教えとは、日本の風土の中で生きるのに、いい、悪いの経験知識でした。外国人が日本を訪問すると一様に感心することは、町の清潔、平和です。日本人が親切であることです。教えはこれだけではありませんが、日本人は、清潔であれ、平和を重んぜよ、人に親切であれと教えられているからです。これが神道の教えの特徴です。外来の教典宗教と違います。

仏教、キリスト教、イスラム教など世界三大宗教が入ってきても神道が埋没しないのは、人が生きるのに役立つ教えが、世界宗教の教えに負けていないことを示しています。信仰の効果も負けていないからです。

神道学者は、枝葉的神社神道、政治的意図が強い皇室神道、まだ歴史が浅い教派神道に目を奪われず、現代人の心の中に脈々と生きている原始神道の精神を抽出し、文章化する努力をするといいと思います。神道に教えがないなどの知見が軽薄であったことに気付くでしょう。

日本の伝統文化とは、日本の風土の中で数十万年、数万年かけて日本人の心の中にしみついている、生きるのに必要と言っていい経験知識、つまり教えです。

 

 

 

 

 

 

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