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2024.02.22

キリスト教やイスラム教が教える神は神ではない

太陽、月、星々などを見て、不思議なものとして畏れを感じ、神あるいは神々としていたときから見れば神は目に見えるものでなないとしたキリスト教などは知識の進歩であったと思います。しかし、見えないまま、天体を管理しているものを想像し、神は天に存在すると思い込んでいるのは問題です。

天体を管理している原理を神とするという定義はあるが、それは人間が感じる自分を助ける神ではありません。イエス・キリストはそれを理解し、自分が実感する力を聖霊と呼びました。彼は聖霊を非常にだいじにしました。神を冒涜しても赦されるが、聖霊を冒涜するものは決して赦されないと言いました。

彼は既存の神に関する知識を捨てないまま、聖霊こそ自分を生かす命と感じ、その思いを弟子たちに話しました。弟子たちもイエス・キリストの言葉を信じ、聖霊の力を受けて、人を恐れず、イエスの言葉を福音とし、ローマなど当時の世界の中心都市の人々に伝えました。聖霊に守られていると思っていましたから迫害にめげず、福音を伝え続けました。

イエス・キリストが感じた聖霊こそ神だと思います。

この疲れを知らない伝道がキリスト教会を次第に大きくし、福音は支配者階級にまで広がっていきました。大方の支配は自分に都合よくキリスト教を解釈し、自分の権力の絶対化に利用したり、魔力を信じて死を恐れない軍人を育てるのに利用しました。

しかし、聖霊が作動する目的は、人が権力者になるためでも死を恐れない軍人になることでもありません。神の助けの悪用も可能という現実がありますが、根本は人を生かすためだと思います。大半の人は生きる、生かすという思いで生きていますから、悪用する人は、次第に人々から浮き上がり、生きにくくなります。失敗します。これが神罰ではないでしょうか。

人々の共通の値観は、生きる、生かすだと思います。この総意には権力者も勝てません。

聖霊とは、神を信じたとき、天から下るのではなく、何人も生をうけた時から体内で作動していると思います。つまり聖霊なき状態で人は生きません。聖霊とは人を生かす機能です。人は育つと次第に自我が発達し、色々なことを学びます。神の意に反した生き方を学び、生きにくさを感じるようになります。自分の異常に気付き、純真に戻ったとき、聖霊を感じることが多いのではないでしょうか。

人生とは自我と神との二人三脚です。

生きる、生かすが聖霊の本意と知れば、正道を生き生きと歩んで生きることが可能になります。これが幸福な生き方だと思います。

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